仕かたはありません。達雄は場末《ばすえ》のカフェのテエブルに妙子の手紙の封を切るのです。窓の外の空は雨になっている。達雄は放心したようにじっと手紙を見つめている。何だかその行《ぎょう》の間《あいだ》に妙子の西洋間《せいようま》が見えるような気がする。ピアノの蓋《ふた》に電燈の映った「わたしたちの巣」が見えるような気がする。……
主筆 ちょっともの足りない気もしますが、とにかく近来の傑作ですよ。ぜひそれを書いて下さい。
保吉 実はもう少しあるのですが。
主筆 おや、まだおしまいじゃないのですか?
保吉 ええ、そのうちに達雄は笑い出すのです。と思うとまた忌《いま》いましそうに「畜生《ちくしょう》」などと怒鳴《どな》り出すのです。
主筆 ははあ、発狂したのですね。
保吉 何、莫迦莫迦《ばかばか》しさに業《ごう》を煮《に》やしたのです。それは業を煮やすはずでしょう。元来達雄は妙子などを少しも愛したことはないのですから。……
主筆 しかしそれじゃ。……
保吉 達雄はただ妙子の家《うち》へピアノを弾きたさに行ったのですよ。云わばピアノを愛しただけなのですよ。何しろ貧しい達雄にはピア
前へ
次へ
全13ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング