し残っているのです。妙子は漢口《ハンカオ》へ行った後《のち》も、時々達雄を思い出すのですね。のみならずしまいには夫よりも実は達雄を愛していたと考えるようになるのですね。好《い》いですか? 妙子を囲んでいるのは寂しい漢口《ハンカオ》の風景ですよ。あの唐《とう》の崔※[#「景+頁」、第3水準1−94−5]《さいこう》の詩に「晴川歴歴《せいせんれきれき》漢陽樹《かんようじゅ》 芳草萋萋《ほうそうせいせい》鸚鵡洲《おうむしゅう》」と歌われたことのある風景ですよ。妙子はとうとうもう一度、――一年ばかりたった後《のち》ですが、――達雄へ手紙をやるのです。「わたしはあなたを愛していた。今でもあなたを愛している。どうか自《みずか》ら欺《あざむ》いていたわたしを可哀《かわい》そうに思って下さい。」――そう云う意味の手紙をやるのです。その手紙を受けとった達雄は……
主筆 早速《さっそく》支那へ出かけるのでしょう。
保吉 とうていそんなことは出来ません。何しろ達雄は飯を食うために、浅草《あさくさ》のある活動写真館のピアノを弾《ひ》いているのですから。
主筆 それは少し殺風景ですね。
保吉 殺風景でも
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