の下に無言《むごん》の微笑ばかり交《か》わすこともある。女主人公はこの西洋間を「わたしたちの巣」と名づけている。壁にはルノアルやセザンヌの複製などもかかっている。ピアノも黒い胴を光らせている。鉢植えの椰子《やし》も葉を垂らしている。――と云うと多少気が利《き》いていますが、家賃は案外安いのですよ。
 主筆 そう云う説明は入《い》らないでしょう。少くとも小説の本文には。
 保吉 いや、必要ですよ。若い外交官の月給などは高《たか》の知れたものですからね。
 主筆 じゃ華族《かぞく》の息子《むすこ》におしなさい。もっとも華族ならば伯爵か子爵ですね。どう云うものか公爵や侯爵は余り小説には出て来ないようです。
 保吉 それは伯爵の息子でもかまいません。とにかく西洋間さえあれば好《い》いのです。その西洋間か、銀座通りか、音楽会かを第一回にするのですから。……しかし妙子《たえこ》は――これは女主人公《じょしゅじんこう》の名前ですよ。――音楽家の達雄《たつお》と懇意《こんい》になった以後、次第にある不安を感じ出すのです。達雄は妙子を愛している、――そう女主人公は直覚するのですね。のみならずこの不安は一
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