冷たく涙の痕《あと》が見えた。「兵衛――兵衛は冥加《みょうが》な奴でござる。」――甚太夫は口惜《くちお》しそうに呟《つぶや》いたまま、蘭袋に礼を云うつもりか、床の上へ乱れた頭《かしら》を垂れた。そうしてついに空しくなった。……
寛文《かんぶん》十年|陰暦《いんれき》十月の末、喜三郎は独り蘭袋に辞して、故郷熊本へ帰る旅程に上《のぼ》った。彼の振分《ふりわ》けの行李《こうり》の中には、求馬《もとめ》左近《さこん》甚太夫《じんだゆう》の三人の遺髪がはいっていた。
後談
寛文《かんぶん》十一年の正月、雲州《うんしゅう》松江《まつえ》祥光院《しょうこういん》の墓所《はかしょ》には、四基《しき》の石塔が建てられた。施主は緊《かた》く秘したと見えて、誰も知っているものはなかった。が、その石塔が建った時、二人の僧形《そうぎょう》が紅梅《こうばい》の枝を提《さ》げて、朝早く祥光院の門をくぐった。
その一人は城下に名高い、松木蘭袋《まつきらんたい》に紛《まぎ》れなかった。もう一人の僧形は、見る影もなく病み耄《ほう》けていたが、それでも凛々《りり》しい物ごしに、どこか武士らしい容子《よう
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