|辱《かたじけな》く存じ申す。」――彼は蘭袋の顔を見ると、床《とこ》の上に起直《おきなお》って、苦しそうにこう云った。「が、身ども息のある内に、先生を御見かけ申し、何分願いたい一儀がござる。御聞き届け下さりょうか。」蘭袋は快く頷《うなず》いた。すると甚太夫は途切《とぎ》れ途切れに、彼が瀬沼兵衛をつけ狙《ねら》う敵打の仔細《しさい》を話し出した。彼の声はかすかであったが、言葉は長物語の間にも、さらに乱れる容子《ようす》がなかった。蘭袋は眉をひそめながら、熱心に耳を澄ませていた。が、やがて話が終ると、甚太夫はもう喘《あえ》ぎながら、「身ども今生《こんじょう》の思い出には、兵衛の容態《ようだい》が承《うけたまわ》りとうござる。兵衛はまだ存命でござるか。」と云った。喜三郎はすでに泣いていた。蘭袋もこの言葉を聞いた時には、涙が抑えられないようであった。しかし彼は膝を進ませると、病人の耳へ口をつけるようにして、「御安心めされい。兵衛殿の臨終は、今朝《こんちょう》寅《とら》の上刻《じょうこく》に、愚老確かに見届け申した。」と云った。甚太夫の顔には微笑が浮んだ。それと同時に窶《やつ》れた頬《ほお》へ、
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