い革の襷《たすき》をかけた。差料《さしりょう》は長谷部則長《はせべのりなが》の刀に来国俊《らいくにとし》の脇差《わきざ》しであった。喜三郎も羽織は着なかったが、肌《はだ》には着込みを纏《まと》っていた。二人は冷酒《ひやざけ》の盃を換《か》わしてから、今日までの勘定をすませた後、勢いよく旅籠《はたご》の門《かど》を出た。
外はまだ人通りがなかった。二人はそれでも編笠に顔を包んで、兼ねて敵打の場所と定めた祥光院《しょうこういん》の門前へ向った。ところが宿を離れて一二町行くと、甚太夫は急に足を止めて、「待てよ。今朝《けさ》の勘定は四文《しもん》釣銭が足らなかった。おれはこれから引き返して、釣銭の残りを取って来るわ。」と云った。喜三郎はもどかしそうに、「高《たか》が四文のはした銭《ぜに》ではございませんか。御戻りになるがものはございますまい。」と云って、一刻も早く鼻の先の祥光院まで行っていようとした。しかし甚太夫は聞かなかった。「鳥目《ちょうもく》は元より惜しくはない。だが甚太夫ほどの侍も、敵打の前にはうろたえて、旅籠の勘定を誤ったとあっては、末代《まつだい》までの恥辱になるわ。その方は一足
前へ
次へ
全25ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング