|辱《かたじけな》く存じ申す。」――彼は蘭袋の顔を見ると、床《とこ》の上に起直《おきなお》って、苦しそうにこう云った。「が、身ども息のある内に、先生を御見かけ申し、何分願いたい一儀がござる。御聞き届け下さりょうか。」蘭袋は快く頷《うなず》いた。すると甚太夫は途切《とぎ》れ途切れに、彼が瀬沼兵衛をつけ狙《ねら》う敵打の仔細《しさい》を話し出した。彼の声はかすかであったが、言葉は長物語の間にも、さらに乱れる容子《ようす》がなかった。蘭袋は眉をひそめながら、熱心に耳を澄ませていた。が、やがて話が終ると、甚太夫はもう喘《あえ》ぎながら、「身ども今生《こんじょう》の思い出には、兵衛の容態《ようだい》が承《うけたまわ》りとうござる。兵衛はまだ存命でござるか。」と云った。喜三郎はすでに泣いていた。蘭袋もこの言葉を聞いた時には、涙が抑えられないようであった。しかし彼は膝を進ませると、病人の耳へ口をつけるようにして、「御安心めされい。兵衛殿の臨終は、今朝《こんちょう》寅《とら》の上刻《じょうこく》に、愚老確かに見届け申した。」と云った。甚太夫の顔には微笑が浮んだ。それと同時に窶《やつ》れた頬《ほお》へ、冷たく涙の痕《あと》が見えた。「兵衛――兵衛は冥加《みょうが》な奴でござる。」――甚太夫は口惜《くちお》しそうに呟《つぶや》いたまま、蘭袋に礼を云うつもりか、床の上へ乱れた頭《かしら》を垂れた。そうしてついに空しくなった。……
寛文《かんぶん》十年|陰暦《いんれき》十月の末、喜三郎は独り蘭袋に辞して、故郷熊本へ帰る旅程に上《のぼ》った。彼の振分《ふりわ》けの行李《こうり》の中には、求馬《もとめ》左近《さこん》甚太夫《じんだゆう》の三人の遺髪がはいっていた。
後談
寛文《かんぶん》十一年の正月、雲州《うんしゅう》松江《まつえ》祥光院《しょうこういん》の墓所《はかしょ》には、四基《しき》の石塔が建てられた。施主は緊《かた》く秘したと見えて、誰も知っているものはなかった。が、その石塔が建った時、二人の僧形《そうぎょう》が紅梅《こうばい》の枝を提《さ》げて、朝早く祥光院の門をくぐった。
その一人は城下に名高い、松木蘭袋《まつきらんたい》に紛《まぎ》れなかった。もう一人の僧形は、見る影もなく病み耄《ほう》けていたが、それでも凛々《りり》しい物ごしに、どこか武士らしい容子《よう
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