へ薬を取りに行く途中、群を成した水鳥が、屡《しばしば》空を渡るのを見た。するとある日彼は蘭袋の家の玄関で、やはり薬を貰いに来ている一人の仲間《ちゅうげん》と落ち合った。それが恩地小左衛門《おんちこざえもん》の屋敷のものだと云う事は、蘭袋の内弟子《うちでし》と話している言葉にも自《おのずか》ら明かであった。彼はその仲間が帰ってから、顔馴染《かおなじみ》の内弟子に向って、「恩地殿のような武芸者も、病には勝てぬと見えますな。」と云った。「いえ、病人は恩地様ではありません。あそこに御出でになる御客人です。」――人の好さそうな内弟子は、無頓着にこう返事をした。
それ以来喜三郎は薬を貰いに行く度に、さりげなく兵衛の容子《ようす》を探った。ところがだんだん聞き出して見ると、兵衛はちょうど平太郎の命日頃から、甚太夫と同じ痢病のために、苦しんでいると云う事がわかった。して見れば兵衛が祥光院へ、あの日に限って詣《もう》でなかったのも、その病のせいに違いなかった。甚太夫はこの話を聞くと、一層病苦に堪えられなくなった。もし兵衛が病死したら、勿論いくら打ちたくとも、敵《かたき》の打てる筈はなかった。と云って兵衛が生きたにせよ、彼自身が命を墜《おと》したら、やはり永年の艱難は水泡に帰すのも同然であった。彼はついに枕《まくら》を噛《か》みながら、彼自身の快癒を祈ると共に、併せて敵《かたき》瀬沼兵衛《せぬまひょうえ》の快癒も祈らざるを得なかった。
が、運命は飽くまでも、田岡甚太夫に刻薄《こくはく》であった。彼の病は重《おも》りに重って、蘭袋《らんたい》の薬を貰ってから、まだ十日と経たない内に、今日か明日かと云う容態《ようだい》になった。彼はそう云う苦痛の中にも、執念《しゅうね》く敵打《かたきうち》の望を忘れなかった。喜三郎は彼の呻吟《しんぎん》の中に、しばしば八幡大菩薩《はちまんだいぼさつ》と云う言葉がかすかに洩れるのを聞いた。殊にある夜は喜三郎が、例のごとく薬を勧めると、甚太夫はじっと彼を見て、「喜三郎。」と弱い声を出した。それからまたしばらくして、「おれは命が惜しいわ。」と云った。喜三郎は畳へ手をついたまま、顔を擡《もた》げる事さえ出来なかった。
その翌日、甚太夫は急に思い立って、喜三郎に蘭袋を迎えにやった。蘭袋はその日も酒気を帯びて、早速彼の病床を見舞った。「先生、永々の御介抱、甚太夫
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