おけが》をしたようです。それでも、近所の評判は、その丁稚《でっち》の方が好《よ》いと云うのだから、不思議でしょう。そのほかまだその通町《とおりちょう》三丁目にも一つ、新麹町《しんこうじまち》の二丁目にも一つ、それから、もう一つはどこでしたかな。とにかく、諸方にあるそうです。それが皆、我々の真似だそうだから、可笑《おか》しいじゃありませんか。」
藤左衛門と忠左衛門とは、顔を見合せて、笑った。復讐の挙が江戸の人心に与えた影響を耳にするのは、どんな些事《さじ》にしても、快いに相違ない。ただ一人|内蔵助《くらのすけ》だけは、僅に額へ手を加えたまま、つまらなそうな顔をして、黙っている。――藤左衛門の話は、彼の心の満足に、かすかながら妙な曇りを落させた。と云っても、勿論彼が、彼のした行為のあらゆる結果に、責任を持つ気でいた訳ではない。彼等が復讐の挙を果して以来、江戸中に仇討が流行した所で、それはもとより彼の良心と風馬牛《ふうばぎゅう》なのが当然である。しかし、それにも関らず、彼の心からは、今までの春の温《ぬく》もりが、幾分か減却したような感じがあった。
事実を云えば、その時の彼は、単に自分たち
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