日に、亡君の讐《あだ》を復して、泉岳寺《せんがくじ》へ引上げた時、彼|自《みずか》ら「あらたのし思いははるる身はすつる、うきよの月にかかる雲なし」と詠じた、その時の満足が帰って来たのである。
 赤穂《あこう》の城を退去して以来、二年に近い月日を、如何《いか》に彼は焦慮と画策《かくさく》との中《うち》に、費《ついや》した事であろう。動《やや》もすればはやり勝ちな、一党の客気《かっき》を控制《こうせい》して、徐《おもむろ》に機の熟するのを待っただけでも、並大抵《なみたいてい》な骨折りではない。しかも讐家《しゅうか》の放った細作《さいさく》は、絶えず彼の身辺を窺《うかが》っている。彼は放埓《ほうらつ》を装って、これらの細作の眼を欺くと共に、併せてまた、その放埓に欺かれた同志の疑惑をも解かなければならなかった。山科《やましな》や円山《まるやま》の謀議の昔を思い返せば、当時の苦衷が再び心の中によみ返って来る。――しかし、もうすべては行く処へ行きついた。
 もし、まだ片のつかないものがあるとすれば、それは一党四十七人に対する、公儀《こうぎ》の御沙汰《ごさた》だけである。が、その御沙汰があるのも、い
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