つてゐた。彼は夜更《よふけ》の電燈の下に彼の勉強を怠らなかつた。同時に又彼が以前書いた十何篇かの論文には、――就中《なかんづく》「リイプクネヒトを憶ふ」の一篇にはだんだん物足《ものた》らなさを感じ出した。
彼等も又彼に冷淡だつた。彼はもう彼等には非難するのにも足らないものだつた。彼等は彼を残したまま、――或は大体《だいたい》彼に近い何人かの人々を残したまま、著々《ちやくちやく》と仕事を進めて行つた。彼は旧友に会ふたびに今更のやうに愚痴《ぐち》をこぼしたりしてゐた。が、実は彼自身もいつかただ俗人の平和に満足してゐたのに違ひなかつた。
それから何年かたつた後《のち》、彼は或会社に勤め、重役たちの信用を得るやうになつた。従つて今では以前よりも兎《と》も角《かく》大きい家に住み、何人かの子供を育てるやうになつた。しかし彼の情熱は、――そのどこにあるかといふことは神の知るばかりかも知れなかつた。彼は時々|籐椅子《とういす》により、一本の葉巻を楽しみながら、彼の青年時代を思ひ出した。それは妙に彼の心を憂鬱にすることもない訣《わけ》ではなかつた。けれども東洋の「あきらめ」はいつも彼を救ひ出すのだ
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