は尽してゐるつもりである。唯僕に対する社会的条件、――僕の上に影を投げた封建時代のことだけは故意にその中にも書かなかつた。なぜ又故意に書かなかつたと言へば、我々人間は今日でも多少は封建時代の影の中にゐるからである。僕はそこにある舞台の外に背景や照明や登場人物の――大抵は僕の所作《しよさ》を書かうとした。のみならず社会的条件などはその社会的条件の中にゐる僕自身に判然とわかるかどうかも疑はない訣《わけ》には行かないであらう。)――僕の第一に考へたことはどうすれば苦まずに死ぬかと云ふことだつた。縊死《いし》は勿論この目的に最も合する手段である。が、僕は僕自身の縊死してゐる姿を想像し、贅沢《ぜいたく》にも美的嫌悪を感じた。(僕は或女人を愛した時も彼女の文字の下手だつた為に急に愛を失つたのを覚えてゐる。)溺死も亦水泳の出来る僕には到底目的を達する筈《はず》はない。のみならず万一|成就《じやうじゆ》するとしても縊死よりも苦痛は多いわけである。轢死《れきし》も僕には何よりも先に美的嫌悪を与へずにはゐなかつた。ピストルやナイフを用ふる死は僕の手の震へる為に失敗する可能性を持つてゐる。ビルデイングの上か
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