をふかしてゐた。彼は余り口をきかなかつた。が、彼の先輩の言葉には熱心に耳を傾けてゐた。
「けふは半日自動車に乗つてゐた。」
「何か用があつたのですか?」
彼の先輩は頬杖《ほほづゑ》をしたまま、極めて無造作に返事をした。
「何、唯乗つてゐたかつたから。」
その言葉は彼の知らない世界へ、――神々に近い「我《が》」の世界へ彼自身を解放した。彼は何か痛みを感じた。が、同時に又|歓《よろこ》びも感じた。
そのカツフエは極《ごく》小さかつた。しかしパンの神の額《がく》の下には赭《あか》い鉢に植ゑたゴムの樹が一本、肉の厚い葉をだらりと垂らしてゐた。
六 病
彼は絶え間ない潮風の中に大きい英吉利《イギリス》語の辞書をひろげ、指先に言葉を探してゐた。
Talaria 翼の生えた靴、或はサンダアル。
Tale 話。
Talipot 東印度に産する椰子《やし》。幹は五十|呎《フイート》より百呎の高さに至り、葉は傘、扇、帽等に用ひらる。七十年に一度花を開く。……
彼の想像ははつきりとこの椰子の花を描き出した。すると彼は喉《のど》もとに今までに知らない痒《かゆ》さを感じ、思はず辞書
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