さへすれば)どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑つてくれ給へ。
昭和二年六月二十日
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]芥川龍之介
久米正雄君
一 時代
それは或本屋の二階だつた。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子《はしご》に登り、新らしい本を探してゐた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、シヨウ、トルストイ、……
そのうちに日の暮は迫り出した。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこに並んでゐるのは本といふよりも寧《むし》ろ世紀末それ自身だつた。ニイチエ、ヴエルレエン、ゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイ、ハウプトマン、フロオベエル、……
彼は薄暗がりと戦ひながら、彼等の名前を数へて行つた。が、本はおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りようとした。すると傘のない電燈が一つ、丁度彼の頭の上に突然ぽかりと火をともした。彼は梯子の上に佇《たたず》んだまま、本の間に動いてゐる店員や客を見下《みおろ》した。彼等は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。
「人生は一行《
前へ
次へ
全30ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング