ばさうとしてゐる様に見える。バルタザアルは側へよつて女王の手をとつた。女王は素気なく其手を振離した。そして『何か御用?』と云つた。
『何の用だかわからないのかい』かう云つて黒人の王は涙を流した。女王は瞳を王の上に転じた。つれない、静かな眼なざしである。王は女王が何も彼も忘れて居るのだと思つた。そこであの小川の夜を思出させようとした。けれども女王はかう云ふのである。
『陛下、わたくしには陛下が何を仰有つていらつしやるのだか、まつたくわからないのでございますよ。陛下には椰子の酒が御体に合はないのでございませう。きつと夢を御覧になつたのでございますわ。』
『夢だ?』王は身悶えをして叫んだ。『お前の接吻が、己の体に創痕を残したナイフが夢だと云ふのか。夢だと?』
女王は身を起した。袍についてゐる宝石が霰のやうな音を立てて、きらきらと光るのである。
『陛下、丁度議会が始まる時刻でございます。わたくしには陛下の御酒機嫌の夢を御解き申上げる暇がございません。少し御休息遊ばしませ。では失礼致します。』
バルタザアルは立つては居られないやうな気がした。けれども此妖婦に弱みを見せてはならないと、根限りの
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