「燐れな学僧のわしには、偉大な事のやうに思はれたのである。わしは恋の闇に迷ひながら、かう自ら叫んだ。「あゝ、わしが僧侶で無かつたなら、わしは彼女を毎日見る事が出来るのだ、彼女の恋人にも彼女の夫にもなれるのだ。さうしたら此陰気な法衣に包まれてゐる代りに、外の美しい騎士のやうに絹と天鵞絨の袍を着て、金の鎖を下げて、剣を佩いて、美しい鳥の羽毛を着《つ》けるやうになるだらう。わしの髪も、短く刈られてしまふ代りに、波立ちながら渦を巻いて、わしの頸の上に垂れるだらう。わしの髭にも美しく蝋を引くだらう。そしてわしは一廉《ひとかど》の貴公子になれるのだ。」それを唯、祭壇の前で一時間を過した為に、忙しく口にした五六の語の為に、わしは永久に生きてゐる人間の仲間から追払はれて、わし自身の墓石に封をするやうな事になつたのだ。
 わしは窓の所へ行つた。空は青く美しい、木は春の着物を着てゐる。わしには自然が皮肉な歓喜を飾り立てゝゐるやうに見えた。広場には人が一杯ゐる。行く者もある、来る者もある、若い遊冶郎と若い美人とが二人づつ、茂みや花園の方へぶら/\歩いて行くのも見える。愉快らしい青年が、楽しさうに「将進酒《し
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