ノ蹌踉《よろめ》いて行つた、死のやうに青ざめて、額にはカルヴァリイ(註。耶蘇の磔殺された地名)の汗よりも血のやうな汗を流しながら。わしはまるで縊り殺されてゐるやうな気がした。さうかと思ふと又円天井がわしの肩の上へ平になつて落ちて来るやうな気もした。そして其円天井の重量をわしの頭だけで支へてゐるやうな心持になつたのである。
わしが戸口を出ようとすると、急に一つの手がわしの手を捕へた――女の手だ! 其時迄わしは一度も女の手に触れた事は無かつた。其手はさながら蛇の皮膚のやうに冷い。しかも其感触は、恰も熱鉄に烙《やか》れたやうに、わしの手首を燃やすのである。彼女だ。「不仕合せな方ね。不仕合せな方ね。何と云ふ事をなすつたの。」彼女は低い声でかう叫ぶと、忽ち群集の中に隠れて見えなくなつてしまつた。
すると、老年の僧正がわしの傍を通り過ぎた。そして厳格な、不審さうな一瞥をわしの上に投げた。わしは顔を赤くしたり、青くしたりした。と、同輩の一人がわしを憐れんで、手を執つてわしを外へ連れ出してくれた。恐らくわしが、人の扶けを借りずに、研究室へ帰るのは、到底出来なかつた事であらう。所が往来の角で、同輩の
前へ
次へ
全68ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング