、に、又多くの人々の期待を欺く事も敢てしない。凡ての夫等の人々の眼、凡ての夫等の人々の意志は、恰も鉛の如く君の上に蔽ひかゝるやうに思はれるのである。それのみならず、規則も正しく定まつてゐれば、万事が予め、完全に整つて、しかも多少必然的に避ける事の出来ないやうに出来上つてゐるので、個人の意志は事情の重みに屈従して遂には全く破壊されてしまふのである。
 式の進むのにつれて、其知らぬ美人の顔も表情が違つて来た。彼女の顔色は、最初は撫愛するやうな優しさを示してゐたが、今は恰もそれを理解させる事が出来ないのを、憎み且つ恥づるやうな容子に変つたのである。
 山をも抜くに足りる意志の力を奮つて、わしは、僧侶などになり度く無いと叫ばうとした。が、どうしてもそれが出来なかつた。わしには舌が上顎に附着してしまつたやうな気がしたのである。わしは否定の綴音を一つでも洩して、わしの意志を表白する事すら出来なかつた、わしは眼が醒めてゐながら、生命《いのち》にも関はる一語を叫ばうとして、魘《うな》されてゐる人間のやうな心持がした。
 彼女もわしの殉教の苦しみを知つてゐるかの如くに見えた。そして恰も、わしを励ますやう
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