をしめておしまひなさい。」
この呉須《ごす》の吹きかけの湯のみは十年|前《まへ》に買つたものである。「われ筆とることを憂しとなす」――さう云ふ歎きを知つたのは爾来《じらい》何年の後《のち》であらう。湯のみにはとうに罅《ひび》が入つてゐる。茶も亦《また》すつかり冷《ひ》えてしまつた。
「奥様、湯たんぽを御入れになりますか?」
すると何時《いつ》か火鉢の中から、薄い煙が立ち昇つてゐる。何かと思つて火箸《ひばし》にかけると、さつきの木の葉が煙るのであつた。何処《どこ》の山から来た木の葉か?――この※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》を嗅《か》いだだけでも、壁を塞《ふさ》いだ書棚の向うに星月夜の山山が見えるやうである。
「そちらにお火はございますか? わたしもおさきへ休ませて頂ますが。」
椎《しひ》の木
椎《しひ》の木の姿は美しい。幹や枝はどんな線にも大きい底力を示してゐる。その上枝を鎧《よろ》つた葉も鋼鉄のやうに光つてゐる。この葉は露霜《つゆじも》も落すことは出来ない。たまたま北風《きたかぜ》に煽《あふ》られれば一度に褐色の葉裏を見せる。さうして男らし
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング