わが散文詩
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)継《つ》がう

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十年|前《まへ》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》
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     秋夜

 火鉢に炭を継《つ》がうとしたら、炭がもう二つしかなかつた。炭取の底には炭の粉《こな》の中に、何か木《こ》の葉が乾反《ひぞ》つてゐる。何処《どこ》の山から来た木の葉か?――今日《けふ》の夕刊に出てゐたのでは、木曾《きそ》のおん岳《たけ》の初雪も例年よりずつと早かつたらしい。
「お父さん、お休みなさい。」
 古い朱塗《しゆぬり》の机の上には室生犀星《むろふさいせい》の詩集が一冊、仮綴《かりとじ》の頁《ペエジ》を開いてゐる。「われ筆とることを憂《う》しとなす」――これはこの詩人の歎きばかりではない。今夜もひとり茶を飲んでゐると、しみじみと心に沁みるものはやはり同じ寂しさである。
「貞《てい》や、もう表をしめておしまひなさい。」
 この呉須《ごす》の吹きかけの湯のみは十年|前《まへ》に買つたものである。「われ筆とることを憂しとなす」――さう云ふ歎きを知つたのは爾来《じらい》何年の後《のち》であらう。湯のみにはとうに罅《ひび》が入つてゐる。茶も亦《また》すつかり冷《ひ》えてしまつた。
「奥様、湯たんぽを御入れになりますか?」
 すると何時《いつ》か火鉢の中から、薄い煙が立ち昇つてゐる。何かと思つて火箸《ひばし》にかけると、さつきの木の葉が煙るのであつた。何処《どこ》の山から来た木の葉か?――この※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》を嗅《か》いだだけでも、壁を塞《ふさ》いだ書棚の向うに星月夜の山山が見えるやうである。
「そちらにお火はございますか? わたしもおさきへ休ませて頂ますが。」

     椎《しひ》の木

 椎《しひ》の木の姿は美しい。幹や枝はどんな線にも大きい底力を示してゐる。その上枝を鎧《よろ》つた葉も鋼鉄のやうに光つてゐる。この葉は露霜《つゆじも》も落すことは出来ない。たまたま北風《きたかぜ》に煽《あふ》られれば一度に褐色の葉裏を見せる。さうして男らしい笑ひ声を挙げる。
 しかし椎の木は野蛮《やばん》ではない。葉の色にも枝ぶりにも何処《どこ》か落着いた所がある。伝統と教養とに培《つちか》はれた士人にも恥ぢないつつましさがある。※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かし》の木はこのつつましさを知らない。唯冬との※[#「門<兒」、332−下−18]《せめ》ぎ合ひに荒荒しい力を誇るだけである。同時に又椎の木は優柔でもない。小春日《こはるび》と戯《たはむ》れる樟《くす》の木のそよぎは椎の木の知らない気軽さであらう。椎の木はもつと憂鬱である。その代りもつと着実である。
 椎《しひ》の木はこのつつましさの為に我我の親しみを呼ぶのであらう。又この憂鬱な影の為に我我の浮薄《ふはく》を戒めるのであらう。「まづたのむ椎の木もあり夏|木立《こだち》」――芭蕉《ばせを》は二百余年|前《ぜん》にも、椎の木の気質を知つてゐたのである。
 椎の木の姿は美しい。殊に日の光の澄んだ空に葉照《はで》りの深い枝を張りながら、静かに聳えてゐる姿は荘厳に近い眺めである。雄雄《をを》しい日本の古天才も皆この椎の老《お》い木《き》のやうに、悠悠としかも厳粛にそそり立つてゐたのに違ひない。その太い幹や枝には風雨の痕《あと》を残した儘。……
 なほ最後につけ加へたいのは、我我の租先は杉の木のやうに椎の木をも神と崇《あが》めたことである。

     虫干

 この水浅黄《みづあさぎ》の帷子《かたびら》はわたしの祖父《おほぢ》の着た物である。祖父はお城のお奥坊主《おくぼうず》であつた。わたしは祖父を覚えてゐない。しかしその命日毎《めいにちごと》に酒を供《そな》へる画像《ぐわざう》を見れば、黒羽二重《くろはぶたへ》の紋服《もんぷく》を着た、何処《どこ》か一徹《いつてつ》らしい老人である。祖父は俳諧を好んでゐたらしい。現に古い手控《てびか》への中にはこんな句も幾つか書きとめてある。
「脇差《わきざ》しも老には重き涼みかな」
(おや。何か映《うつ》つてゐる! うつすり日のさした西窓《にしまど》の障子に。)
 その小紋《こもん》の女羽織《をんなばおり》はわたしの母が着た物である。母もとうに歿してしまつた。が、わたしは母と一しよに汽車に乗つた事を覚えてゐる。その時の羽織はこの小紋か、それともあの縞《しま》の御召《おめ》しか? ――兎《と》に角《かく》母は窓を後《うし》
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