人《いちにん》もあるまじく存ずるなり。今、事の序《ついで》なれば、わが「じゃぼ」に会いし次第、南蛮の語《ことば》にては「あぼくりは」とも云うべきを、あらあら下《しも》に記し置かん。
年月《ねんげつ》のほどは、さる可き用もなければ云わず。とある年の秋の夕暮、われ独り南蛮寺の境内《けいだい》なる花木《はなき》の茂みを歩みつつ、同じく切支丹《きりしたん》宗門の門徒にして、さるやんごとなきあたりの夫人が、涙ながらの懺悔《こひさん》を思いめぐらし居たる事あり。先つごろ、その夫人のわれに申されけるは、「このほど、怪しき事あり。日夜何ものとも知れず、わが耳に囁《ささや》きて、如何《いかん》ぞさばかりむくつけき夫のみ守れる。世には情《なさけ》ある男も少からぬものをと云う。しかもその声を聞く毎に、神魂たちまち恍惚として、恋慕の情|自《おのずか》ら止《とど》め難し。さればとてまた、誰と契《ちぎ》らんと願うにもあらず、ただ、わが身の年若く、美しき事のみなげかれ、徒《いたず》らなる思に身を焦《こが》すなり」と。われ、その時、宗門の戒法を説き、かつ厳《おごそか》に警《いまし》めけるは、「その声こそ、一定《いち
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