異国より移し植えたる、名も知らぬ草木《くさき》の薫《かぐわ》しき花を分けて、ほの暗き小路を歩み居しが、ふと眼《まなこ》を挙げて、行手を見れば、われを去る事十歩ならざるに、伴天連《ばてれん》めきたる人影《ひとかげ》あり。その人、わが眼を挙ぐるより早く、風の如く来りて、問いけるは、「汝、われを知るや」と。われ、眼《まなこ》を定めてその人を見れば、面《おもて》はさながら崑崙奴《こんろんぬ》の如く黒けれど、眉目《みめ》さまで卑しからず、身には法服《あびと》の裾長きを着て、首のめぐりには黄金《こがね》の飾りを垂れたり。われ、遂にその面を見知らざりしかば、否と答えけるに、その人、忽ち嘲笑《あざわら》うが如き声にて、「われは悪魔「るしへる」なり」と云う。われ、大《おおい》に驚きて云いけるは、「如何ぞ、「るしへる」なる事あらん。見れば、容体《ようだい》も人に異らず。蝙蝠《かわほり》の翼、山羊の蹄《ひずめ》、蛇《くちなわ》の鱗《うろこ》は如何にしたる」と。その人答うらく、「悪魔はもとより、人間と異るものにあらず。われを描《えが》いて、醜悪絶類ならしむるものは画工のさかしらなり。わがともがらは、皆われの如く、翼なく、鱗なく、蹄なし。況《いわん》や何ぞかの古怪なる面貌あらん。」われ、さらに云いけるは、「悪魔にしてたとい、人間と異るものにあらずとするも、そはただ、皮相の見《けん》に止るのみ。汝が心には、恐しき七つの罪、蝎《さそり》の如くに蟠《わだかま》らん、」と。「るしへる」再び、嘲笑う如き声にて云うよう、「七つの罪は人間の心にも、蝎の如くに蟠れり。そは汝自ら知る所か」と。われ罵《ののし》るらく、「悪魔よ、退《の》け、わが心は DS《でうす》 が諸善万徳を映すの鏡なり。汝の影を止むべき所にあらず、」と。悪魔呵々大笑していわく、「愚《おろか》なり、巴※[#「田+比」、第3水準1−86−44]※[#「合/廾」、第3水準1−84−19]《はびあん》。汝がわれを唾罵《だば》する心は、これ即《すなわち》驕慢《きょうまん》にして、七つの罪の第一よ。悪魔と人間の異らぬは、汝の実証を見て知るべし。もし悪魔にして、汝ら沙門《しゃもん》の思うが如く、極悪兇猛の鬼物ならんか、われら天が下を二つに分って、汝が DS と共に治めんのみ。それ光あれば、必ず暗あり。DS の昼と悪魔の夜と交々《こもごも》この世を統《す》べん事、あるべからずとは云い難し。されどわれら悪魔の族《やから》はその性《さが》悪なれど、善を忘れず。右の眼《まなこ》は「いんへるの」の無間《むげん》の暗を見るとも云えど、左の眼は今もなお、「はらいそ」の光を麗《うるわ》しと、常に天上を眺むるなり。さればこそ悪において全からず。屡《しばしば》 DS が天人《てんにん》のために苦しめらる。汝知らずや、さきの日汝が懺悔《こひさん》を聞きたる夫人も、「るしへる」自らその耳に、邪淫《じゃいん》の言を囁きしを。ただ、わが心弱くして、飽くまで夫人を誘《さそ》う事能わず。ただ、黄昏《こうこん》と共に身辺を去来して、そが珊瑚《さんご》の念珠《こんたつ》と、象牙に似たる手頸《てくび》とを、えもならず美しき幻の如く眺めしのみ。もしわれにして、汝ら沙門の恐るる如き、兇険無道の悪魔ならんか、夫人は必ず汝の前に懺悔《こひさん》の涙をそそがんより、速に不義の快楽《けらく》に耽って、堕獄の業因《ごういん》を成就せん」と。われ、「るしへる」の弁舌、爽《さわやか》なるに驚きて、はかばかしく答もなさず、茫然としてただ、その黒檀《こくたん》の如く、つややかなる面《おもて》を目戍《みまも》り居しに、彼、たちまちわが肩を抱《いだ》いて、悲しげに囁きけるは、「わが常に「いんへるの」に堕さんと思う魂は、同じくまた、わが常に「いんへるの」に堕すまじと思う魂なり。汝、われら悪魔がこの悲しき運命を知るや否や。わがかの夫人を邪淫《じゃいん》の穽《あな》に捕えんとして、しかもついに捕え得ざりしを見よ。われ夫人の気高く清らかなるを愛《め》ずれば、愈《いよいよ》夫人を汚《けが》さまく思い、反《かえ》ってまた、夫人を汚さまく思えば、愈気高く清らかなるを愛でんとす。これ、汝らが屡《しばしば》七つの恐しき罪を犯さんとするが如く、われらまた、常に七つの恐しき徳を行わんとすればなり。ああ、われら悪魔を誘《さそ》うて、絶えず善に赴かしめんとするものは、そもそもまた汝らが DS か。あるいは DS 以上の霊か」と。悪魔「るしへる」は、かくわが耳に囁きて、薄暮《はくぼ》の空をふり仰ぐよと見えしが、その姿たちまち霧の如くうすくなりて、淡薄《たんぱく》たる秋花《あきはな》の木《こ》の間《ま》に、消ゆるともなく消え去り了《おわ》んぬ。われ、即ち※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]惶《そうこう
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