ほどのものではない。悪く云えば、出たらめで、善く云えば喜撰《きせん》でも踊られるより、嫌味がないと云うだけである。もっともこれは、当人も心得ていると見えて、しらふの時には、お神楽のお[#「お」に傍点]の字も口へ出した事はない。「山村さん、何かお出しなさいな」などと、すすめられても、冗談に紛らせて逃げてしまう。それでいて、少しお神酒《みき》がまわると、すぐに手拭をかぶって、口で笛と太鼓の調子を一つにとりながら、腰を据えて、肩を揺って、塩吹面舞《ひょっとこまい》と言うのをやりたがる。そうして、一度踊り出したら、いつまでも図にのって、踊っている。はたで三味線を弾いていようが、謡をうたっていようが、そんな事にはかまわない。
 ところが、その酒が崇《たた》って、卒中のように倒れたなり、気の遠くなってしまった事が、二度ばかりある。一度は町内の洗湯《せんとう》で、上り湯を使いながら、セメントの流しの上へ倒れた。その時は腰を打っただけで、十分とたたない内に気がついたが、二度目に自家《うち》の蔵の中で仆《たお》れた時には、医者を呼んで、やっと正気にかえして貰うまで、かれこれ三十分ばかりも手間どった。平吉はその度に、医者から酒を禁じられるが、殊勝らしく、赤い顔をしずにいるのはほんのその当座だけで、いつでも「一合位は」からだんだん枡数《ますかず》がふえて、半月とたたない中に、いつの間にかまた元の杢阿弥《もくあみ》になってしまう。それでも、当人は平気なもので「やはり飲まずにいますと、かえって体にいけませんようで」などと勝手な事を云ってすましている。

       ×          ×          ×

 しかし平吉が酒をのむのは、当人の云うように生理的に必要があるばかりではない。心理的にも、飲まずにはいられないのである。何故かと云うと、酒さえのめば気が大きくなって、何となく誰の前でも遠慮が入《い》らないような心持ちになる。踊りたければ踊る。眠たければ眠る。誰もそれを咎める者はない。平吉には、何よりも之が難有《ありがた》いのである。何故これが難有いか。それは自分にもわからない。
 平吉はただ酔うと、自分がまったく、別人になると云う事を知っている。勿論、馬鹿踊を踊ったあとで、しらふになってから、「昨夜《ゆうべ》は御盛んでしたな」と云われると、すっかりてれてしまって、「どうも酔ぱらう
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