、ぐるりと一つ大きな円をかきながら、あっと云う間に、メリヤスの股引《ももひき》をはいた足を空《くう》へあげて、仰向けに伝馬の中へ転げ落ちた。
 橋の上の見物は、またどっと声をあげて哂った。
 船の中ではそのはずみに、三味線の棹《さお》でも折られたらしい。幕の間から見ると、面白そうに酔って騒いでいた連中が、慌てて立ったり坐ったりしている。今まではやしていた馬鹿囃子も、息のつまったように、ぴったり止んでしまった。そうして、ただ、がやがや云う人の声ばかりする。何しろ思いもよらない混雑が起ったのにちがいない。それから少時《しばらく》すると、赤い顔をした男が、幕の中から首を出して、さも狼狽したように手を動かしながら、早口で何か船頭に云いつけた。すると、伝馬はどうしたのか、急に取舵《とりかじ》をとって、舳《みよし》を桜とは反対の山の宿《しゅく》の河岸《かし》に向けはじめた。
 橋の上の見物が、ひょっとこの頓死した噂を聞いたのはそれから十分の後《のち》である。もう少し詳しい事は、翌日の新聞の十把一束《じっぱいっそく》と云う欄にのせてある。それによると、ひょっとこの名は山村平吉、病名は脳溢血と云う事であった。

       ×          ×          ×

 山村平吉はおやじの代から、日本橋の若松町にいる絵具屋である。死んだのは四十五で、後には痩せた、雀斑《そばかす》のあるお上《か》みさんと、兵隊に行っている息子とが残っている。暮しは裕《ゆたか》だと云うほどではないが、雇人《やといにん》の二三人も使って、どうにか人並にはやっているらしい。人の噂では、日清戦争頃に、秋田あたりの岩緑青《いわろくしょう》を買占めにかかったのが、当ったので、それまでは老鋪《しにせ》と云うだけで、お得意の数も指を折るほどしか無かったのだと云う。
 平吉は、円顔《まるがお》の、頭の少し禿げた、眼尻に小皺《こじわ》のよっている、どこかひょうきんな所のある男で、誰にでも腰が低い。道楽は飲む一方で、酒の上はどちらかと云うと、まずいい方である。ただ、酔うと、必ず、馬鹿踊をする癖があるが、これは当人に云わせると、昔、浜町の豊田の女将《おかみ》が、巫女舞《みこまい》を習った時分に稽古をしたので、その頃は、新橋でも芳町でも、お神楽《かぐら》が大流行だったと云う事である。しかし、踊は勿論、当人が味噌を上げる
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