なりや否や。

     六

 僕は二年生か三年生かの時、矢代幸雄《やしろゆきを》、久米正雄《くめまさを》の二人《ふたり》と共にイギリス文学科の教授方針を攻撃したり。場所は一《ひと》つ橋《ばし》の学士会館なりしと覚ゆ。僕等は寡《くわ》を以て衆にあたり、大いに凱歌《がいか》を奏したり。然れども久米は勝誇《かちほこ》りたる為、忽ち心臓に異状を呈し、本郷《ほんがう》まで歩きて帰ること能《あたは》ず。僕は矢代と共に久米を担《かつ》ぎ、人跡《じんせき》絶えたる電車通りをやつと本郷の下宿《げしゆく》へ帰れり。(昭和二・二・一七)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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