物《くだもの》くさぐさを積」んでいた事を語っている。だから季節は恐らく秋であろう。これは、後段に、無花果《いちじゅく》云々の記事が見えるのに徴しても、明である。それから乗合はほかにはなかったらしい。時刻は、丁度昼であった。――筆者は本文へはいる前に、これだけの事を書いている。従ってもし読者が当時の状景を彷彿《ほうふつ》しようと思うなら、記録に残っている、これだけの箇条から、魚の鱗《うろこ》のように眩《まばゆ》く日の光を照り返している海面と、船に積んだ無花果《いちじゅく》や柘榴《ざくろ》の実と、そうしてその中に坐りながら、熱心に話し合っている三人の紅毛人《こうもうじん》とを、読者自身の想像に描いて見るよりほかはない。何故と云えば、それらを活々《いきいき》と描写する事は、単なる一学究たる自分にとって、到底不可能な事だからである。
 が、もし読者がそれに多少の困難を感ずるとすれば、ペックがその著「ヒストリイ・オブ・スタンフォオド」の中で書いている「さまよえる猶太人」の服装を、大体ここに紹介するのも、読者の想像を助ける上において、あるいは幾分の効果があるかも知れない。ペックはこう云っている。「彼の上衣《うわぎ》は紫である。そうして腰まで、ボタンがかかっている。ズボンも同じ色で、やはり見た所古くはないらしい。靴下はまっ白であるが、リンネルか、毛織りか、見当がつかなかった。それから髯《ひげ》も髪も、両方とも白い。手には白い杖を持っていた。」――これは、前に書いた肺病やみのサムエル・ウォリスが、親しく目撃した所を、ペックが記録して置いたのである。だから、フランシス・ザヴィエルが遇《あ》った時も、彼は恐らくこれに類した服装をしていたのに違いない。
 そこで、それがどうして、「さまよえる猶太人」だとわかったかと云うと、「上人《しょうにん》の祈祷された時、その和郎《わろう》も恭しく祈祷した」ので、フランシスの方から話をしかけたのだそうである。所が、話して見ると、どうも普通の人間ではない。話すことと云い、話し振りと云い、その頃東洋へ浮浪して来た冒険家や旅行者とは、自《おのずか》ら容子《ようす》がちがっている。「天竺《てんじく》南蛮の今昔《こんじゃく》を、掌《たなごころ》にても指《ゆびさ》すように」指《さ》したので、「シメオン伊留満《いるまん》はもとより、上人《しょうにん》御自身さえ舌を捲
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