かれたそうでござる。」そこで、「そなたは何処のものじゃと御訊《おたず》ねあったれば、一所不住《いっしょふじゅう》のゆだやびと」と答えた。が、上人も始めは多少、この男の真偽を疑いかけていたのであろう。「当来の波羅葦僧《はらいそう》にかけても、誓い申すべきや。」と云ったら、相手が「誓い申すとの事故、それより上人も打ちとけて、種々《くさぐさ》問答せられたげじゃ。」と書いてあるが、その問答を見ると、最初の部分は、ただ昔あった事実を尋ねただけで、宗教上の問題には、ほとんど一つも触れていない。
それがウルスラ上人と一万一千の童貞《どうてい》少女《しょうじょ》が、「奉公の死」を遂げた話や、パトリック上人の浄罪界《じょうざいかい》の話を経て、次第に今日の使徒行伝《しとぎょうでん》中の話となり、進んでは、ついに御主《おんあるじ》耶蘇基督《エス・クリスト》が、ゴルゴダで十字架《くるす》を負った時の話になった。丁度この話へ移る前に、上人が積荷の無花果《いちじゅく》を水夫に分けて貰って、「さまよえる猶太人」と一しょに、食ったと云う記事がある。前に季節の事に言及した時に引いたから、ここに書いて置くが、勿論大した意味がある訳ではない。――さて、その問答を見ると、大体|下《しも》のような具合である。
上人《しょうにん》「御主《おんあるじ》御受難の砌《みぎり》は、エルサレムにいられたか。」
「さまよえる猶太人」「如何《いか》にも、眼《ま》のあたりに御受難の御《おん》有様を拝しました。元来それがしは、よせふと申して、えるされむに住む靴匠《くつしょう》でござったが、当日は御主《おんあるじ》がぴらと殿《どの》の裁判《さばき》を受けられるとすぐに、一家のものどもを戸口《とぐち》へ呼び集めて、勿体《もったい》なくも、御主の御悩みを、笑い興じながら、見物したものでござる。」
記録の語る所によると、クリストは、「物に狂うたような群集の中を」、パリサイの徒と祭司《さいし》とに守られながら、十字架《くるす》を背にした百姓の後について、よろめき、歩いて来た。肩には、紫の衣がかかっている。額《ひたい》には荊棘《いばら》の冠《かんむり》がのっている。そうしてまた、手や足には、鞭《むち》の痕《あと》や切り創《きず》が、薔薇《ばら》の花のように赤く残っている。が、眼《め》だけは、ふだんと少しも変りがない。「日頃のように
前へ
次へ
全9ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング