りをあげて、まつしぐらに「れぷろぼす」へ打つてかかつた。なれどもこなたはものともせいで、大薙刀をとりのべながら、二太刀三太刀あしらうたが、やがて得物をからりと捨てて、猿臂《ゑんぴ》をのばいたと見るほどに、早くも敵の大将を鞍壺《くらつぼ》からひきぬいて、目もはるかな大空へ、礫《つぶて》の如く投げ飛ばいた。その敵の大将がきりきりと宙に舞ひながら、味方の陣中へどうと落ちて、乱離骨灰《らりこつぱひ》になつたのと、「あんちおきや」の同勢が鯨波《とき》の声を轟かいて、帝の御輦《ぎよれん》を中にとりこめ、雪崩《なだれ》の如く攻めかかつたのとが、間《かん》に髪《はつ》をも入れまじい、殆ど同時の働きぢや。されば隣国の軍勢は、一たまりもなく浮き足立つて、武具馬具のたぐひをなげ捨てながら、四分五裂に落ち失《う》せてしまうた。まことや「あんちおきや」の帝がこの日の大勝利は、味方の手にとつた兜首《かぶとくび》の数ばかりも、一年の日数よりは多かつたと申すことでおぢやる。
ぢやによつて帝は御悦び斜ならず、目でたく凱歌の裡《うち》に軍《いくさ》をめぐらされたが、やがて「れぷろぼす」には大名の位を加へられ、その上諸臣にも一々勝利の宴を賜つて、ねんごろに勲功をねぎらはれた。その勝利の宴を賜つた夜のことと思召《おぼしめ》されい。当時国々の形儀《かたぎ》とあつて、その夜も高名《かうみやう》な琵琶法師が、大燭台の火の下に節面白う絃《げん》を調じて、今昔《いまむかし》の合戦のありさまを、手にとる如く物語つた。この時「れぷろぼす」は、かねての大願を成就したことでおぢやれば、涎《よだれ》も垂れようずばかり笑み傾いて、余念もなく珍陀《ちんた》の酒を酌《く》みかはいてあつた所に、ふと酔うた眼にもとまつたは、錦の幔幕《まんまく》を張り渡いた正面の御座にわせられる帝《みかど》の異な御ふるまひぢや。何故と申せば、検校《けんげう》のうたふ物語の中に、悪魔《ぢやぼ》と云ふ言葉がおぢやると思へば、帝はあわただしう御手をあげて、必ず十字の印《しるし》を切らせられた。その御ふるまひが怪《け》しからずものものしげに見えたれば、「れぷろぼす」は同席の侍に、
「何として帝は、あのやうに十字の印を切らせられるぞ。」と、卒爾《そつじ》ながら尋ねて見た所がその侍の答へたは、
「総じて悪魔《ぢやぼ》と申すものは、天《あめ》が下の人間をも掌《たなごころ》にのせて弄《もてあそ》ぶ、大力量のものでおぢやる。ぢやによつて帝も、悪魔《ぢやぼ》の障碍《しやうげ》を払はうずと思召され、再三十字の印を切つて、御身を守らせ給ふのぢや。」と申した。「れぷろぼす」はこれを聞いて、迂論《うろん》げに又問ひ返したは、
「なれど今『あんちおきや』の帝は、天《あめ》が下に並びない大剛の大将と承つた。されば悪魔《ぢやぼ》も帝の御身には、一指をだに加へまじい。」と申したが、侍は首をふつて、
「いや、いや、帝も、悪魔《ぢやぼ》ほどの御威勢はおぢやるまい。」と答へた。山男はこの答を聞くや否や、大いに憤つて申したは、
「それがしが帝に随身し奉つたは、天下無双の強者《つはもの》は帝ぢやと承つた故でおぢやる。しかるにその帝さへ、悪魔《ぢやぼ》には腰を曲げられるとあるなれば、それがしはこれよりまかり出でて、悪魔《ぢやぼ》の臣下と相成らうず。」と喚《わめ》きながら、ただちに珍陀の盃を抛《なげう》つて、立ち上らうと致いたれば、一座の侍はさらいでも、「れぷろぼす」が今度の功名を妬《ねた》ましう思うて居つたによつて、
「すは、山男が謀叛《むほん》するわ。」と異口同音に罵《ののし》り騒いで、やにはに四方八方から搦《から》めとらうと競ひ立つた。もとより「れぷろぼす」も日頃ならば、さうなくこの侍だちに組みとめられう筈もあるまじい。なれどもその夜は珍陀の酔《ゑひ》に前後も不覚の体《てい》ぢやによつて、しばしがほどこそ多勢を相手に、組んづほぐれつ、揉《も》み合うても居つたが、やがて足をふみすべらいて、思はずどうとまろんだれば、えたりやおうと侍だちは、いやが上にも折り重つて、怒り狂ふ「れぷろぼす」を高手小手に括《くく》り上げた。帝もことの体《てい》たらくを始終残らず御覧《ごらう》ぜられ、
「恩を讐《あだ》で返すにつくいやつめ。※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》土の牢へ投げ入れい。」と、大いに逆鱗《げきりん》あつたによつて、あはれや「れぷろぼす」はその夜の内に、見るもいぶせい地の底の牢舎へ、禁獄せられる身の上となつた。さてこの「あんちおきや」の牢内に囚《とら》はれとなつた「れぷろぼす」が、その後如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々は、まづ次のくだりを読ませられい。
三 魔往来のこと
さるほどに「れぷろぼす」は、未《いま》だ繩目もゆるされいで、土の牢の暗《やみ》の底へ、投げ入れられたことでおぢやれば、しばしがほどは赤子のやうに、唯おうおうと声を上げて、泣き喚《わめ》くより外はおりなかつた。その時いづくよりとも知らず、緋《ひ》の袍《ころも》をまとうた学匠《がくしやう》が、忽然《こつねん》と姿を現《あらは》いて、やさしげに問ひかけたは、
「如何《いか》に『れぷろぼす』。おぬしは何として、かやうな所に居るぞ。」とあつたれば、山男は今更ながら、滝のやうに涙を流いて、
「それがしは、帝に背《そむ》き奉つて、悪魔《ぢやぼ》に仕へようずと申したれば、かやうに牢舎致されたのでおぢやる。おう、おう、おう。」と歎き立てた。学匠はこれを聞いて、再びやさしげに尋ねたは、
「さらばおぬしは、今もなほ悪魔《ぢやぼ》に仕へようず望がおりやるか。」と申すに、「れぷろぼす」は頭《かうべ》を竪《たて》に動かいて、
「今もなほ、仕へようずる。」と答へた。学匠は大いにこの返事を悦んで、土の牢も鳴りどよむばかり、からからと笑ひ興じたが、やがて三度やさしげに申したは、
「おぬしの所望は、近頃殊勝千万ぢやによつて、これよりただちに牢舎を赦《ゆる》いてとらさうずる。」とあつて、身にまとうた緋の袍を、「れぷろぼす」が上に蔽うたれば、不思議や総身の縛《いまし》めは、悉《ことごと》くはらりと切れてしまうた。山男の驚きは申すまでもあるまじい。されば恐る恐る身を起いて、学匠の顔を見上げながら、慇懃《いんぎん》に礼を為《な》いて申したは、
「それがしが繩目を赦いてたまはつた御恩は、生々世々《しやうじやうよよ》忘却つかまつるまじい。なれどもこの土の牢をば、何として忍び出で申さうずる。」と云うた。学匠はこの時又えせ笑ひをして、
「かうすべいに、なじかは難からう。」と申しも果《はて》ず、やにはに緋の袍の袖をひらいて、「れぷろぼす」を小脇に抱《かか》いたれば、見る見る足下が暗うなつて、もの狂ほしい一陣の風が吹き起つたと思ふほどに、二人は何時《いつ》か宙を踏んで、牢舎を後に飄々《へうへう》と「あんちおきや」の都の夜空へ、火花を飛《とば》いて舞ひあがつた。まことやその時は学匠の姿も、折から沈まうず月を背負うて、さながら怪しげな大蝙蝠《おほかはほり》が、黒雲の翼を一文字に飛行《ひぎやう》する如く見えたと申す。
されば「れぷろぼす」は愈《いよいよ》胆を消《け》いて、学匠もろとも中空を射る矢のやうに翔《かけ》りながら、戦《をのの》く声で尋ねたは、
「そもそもごへんは、何人でおぢやらうぞ。ごへんほどな大神通《だいじんづう》の博士は、世にも又とあるまじいと覚ゆる。」と申したに、学匠は忽ち底気味悪いほくそ笑みを洩しながら、わざとさりげない声で答へたは、
「何を隠さう、われらは、天《あめ》が下の人間を掌《たなごころ》にのせて弄《もてあそ》ぶ、大力量の剛の者ぢや。」とあつたによつて、「れぷろぼす」は始めて学匠の本性が、悪魔《ぢやぼ》ぢやと申すことに合点《がてん》が参つた。さるほどに悪魔《ぢやぼ》はこの問答の間さへ、妖霊星の流れる如く、ひた走りに宙を走つたれば、「あんちおきや」の都の燈火《ともしび》も、今ははるかな闇の底に沈みはてて、やがて足もとに浮んで参つたは、音に聞く「えじつと」の沙漠でおぢやらう。幾百里とも知れまじい砂の原が、有明の月の光の中に、夜目にも白々と見え渡つた。この時学匠は爪長な指をのべて、下界をゆびさしながら申したは、
「かしこの藁屋《わらや》には、さる有験《うげん》の隠者が住居《すまひ》致いて居ると聞いた。まづあの屋根の上に下らうずる。」とあつて、「れぷろぼす」を小脇に抱いた儘《まま》、とある沙山《すなやま》陰のあばら家の棟《むね》へ、ひらひらと空から舞ひ下つた。
こなたはそのあばら家に行ひすまいて居つた隠者の翁《おきな》ぢや。折から夜のふけたのも知らず、油火《あぶらび》のかすかな光の下で、御経《おんきやう》を読誦《どくじゆ》し奉つて居つたが、忽《たちま》ちえならぬ香風が吹き渡つて、雪にも紛《まが》はうず桜の花が紛々と飜《ひるがへ》り出《いだ》いたと思へば、いづくよりともなく一人の傾城《けいせい》が、鼈甲《べつかふ》の櫛《くし》笄《かうがい》を円光の如くさしないて、地獄絵を繍《ぬ》うた襠《うちかけ》の裳《もすそ》を長々とひきはえながら、天女のやうな媚《こび》を凝《こら》して、夢かとばかり眼の前へ現れた。翁はさながら「えじつと」の沙漠が、片時の内に室神崎《むろかんざき》の廓《くるわ》に変つたとも思ひつらう。あまりの不思議さに我を忘れて、しばしがほどは惚々《ほれぼれ》と傾城《けいせい》の姿を見守つて居つたに、相手はやがて花吹雪《はなふぶき》を身に浴びながら、につこと微笑《ほほゑ》んで申したは、
「これは『あんちおきや』の都に隠れもない遊びでおぢやる。近ごろ御僧のつれづれを慰めまゐらせうと存じたれば、はるばるこれまでまかり下つた。」とあつた。その声ざまの美しさは、極楽に棲《す》むとやら承つた伽陵頻伽《かりようびんが》にも劣るまじい。さればさすがに有験《うげん》の隠者もうかとその手に乗らうとしたが、思へばこの真夜中に幾百里とも知らぬ「あんちおきや」の都から、傾城《けいせい》などの来よう筈もおぢやらぬ。さては又しても悪魔《ぢやぼ》めの悪巧みであらうずと心づいたによつて、ひたと御経に眼を曝《さら》しながら、専念に陀羅尼《だらに》を誦《ず》し奉つて居つたに、傾城はかまへてこの隠者の翁を落さうと心にきはめつらう。蘭麝《らんじや》の薫を漂はせた綺羅《きら》の袂を弄《もてあそ》びながら、嫋々《たよたよ》としたさまで、さも恨めしげに歎いたは、
「如何《いか》に遊びの身とは申せ、千里の山河も厭《いと》はいで、この沙漠までまかり下つたを、さりとは曲《きよく》もない御方かな。」と申した。その姿の妙《たへ》にも美しい事は、散りしく桜の花の色さへ消えようずると思はれたが、隠者の翁は遍身《へんしん》に汗を流いて、降魔の呪文を読みかけ読みかけ、かつふつその悪魔《ぢやぼ》の申す事に耳を借さうず気色《けしき》すらおりない。されば傾城もかくてはなるまじいと気を苛《いらだ》つたか、つと地獄絵の裳《もすそ》を飜《ひるがへ》して、斜に隠者の膝へとすがつたと思へば、
「何としてさほどつれないぞ。」と、よよとばかりに泣い口説《くど》いた。と見るや否や隠者の翁は、蝎《さそり》に刺されたやうに躍り上つたが、早くも肌身につけた十字架《くるす》をかざいて、霹靂《はたたがみ》の如く罵《ののし》つたは、
「業畜《ごふちく》、御主《おんあるじ》『えす・きりしと』の下部《しもべ》に向つて無礼《むらい》あるまじいぞ。」と申しも果てず、てうと傾城の面《おもて》を打つた。打たれた傾城は落花の中に、なよなよと伏しまろんだが、忽ちその姿は見えずなつて、唯一むらの黒雲が湧き起つたと思ふほどに、怪しげな火花の雨が礫《つぶて》の如く乱れ飛んで、
「あら、痛や。又しても十字架《くるす》に打たれたわ。」と唸《うめ》く声が、次第に家の棟《むね》にのぼつて消えた。もとより隠者はかうあらうと心に期《ご》して居つたによつて、この間も秘密の真言《しんごん》を絶え
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