《あわ》てふためく事もおぢやつたと申し伝へた。
 なれど「れぷろぼす」は、性得《しやうとく》心根《こころね》のやさしいものでおぢやれば、山ずまひの杣《そま》猟夫《かりうど》は元より、往来の旅人にも害を加へたと申す事はおりない。反《かへ》つて杣《そま》の伐《き》りあぐんだ樹は推し倒し、猟夫《かりうど》の追ひ失うた毛物《けもの》はとつておさへ、旅人の負ひなやんだ荷は肩にかけて、なにかと親切をつくいたれば、遠近《をちこち》の山里でもこの山男を憎まうずものは、誰一人おりなかつた。中にもとある一村では、羊飼のわらんべが行き方知れずになつた折から、夜さりそのわらんべの親が家の引き窓を推し開くものがあつたれば、驚きまどうて上を見たに、箕《み》ほどな「れぷろぼす」の掌《たなごころ》が、よく眠入《ねい》つたわらんべをかいのせて、星空の下から悠々と下りて来たこともおぢやると申す。何と山男にも似合ふまじい、殊勝な心映えではおぢやるまいか。
 されば山賤《やまがつ》たちも「れぷろぼす」に出合へば、餅や酒などをふるまうて、へだてなく語らふことも度々おぢやつた。さるほどにある日のこと、杣《そま》の一むれが樹を伐ら
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