ごころ》にのせて弄《もてあそ》ぶ、大力量のものでおぢやる。ぢやによつて帝も、悪魔《ぢやぼ》の障碍《しやうげ》を払はうずと思召され、再三十字の印を切つて、御身を守らせ給ふのぢや。」と申した。「れぷろぼす」はこれを聞いて、迂論《うろん》げに又問ひ返したは、
「なれど今『あんちおきや』の帝は、天《あめ》が下に並びない大剛の大将と承つた。されば悪魔《ぢやぼ》も帝の御身には、一指をだに加へまじい。」と申したが、侍は首をふつて、
「いや、いや、帝も、悪魔《ぢやぼ》ほどの御威勢はおぢやるまい。」と答へた。山男はこの答を聞くや否や、大いに憤つて申したは、
「それがしが帝に随身し奉つたは、天下無双の強者《つはもの》は帝ぢやと承つた故でおぢやる。しかるにその帝さへ、悪魔《ぢやぼ》には腰を曲げられるとあるなれば、それがしはこれよりまかり出でて、悪魔《ぢやぼ》の臣下と相成らうず。」と喚《わめ》きながら、ただちに珍陀の盃を抛《なげう》つて、立ち上らうと致いたれば、一座の侍はさらいでも、「れぷろぼす」が今度の功名を妬《ねた》ましう思うて居つたによつて、
「すは、山男が謀叛《むほん》するわ。」と異口同音に罵《ののし》り騒いで、やにはに四方八方から搦《から》めとらうと競ひ立つた。もとより「れぷろぼす」も日頃ならば、さうなくこの侍だちに組みとめられう筈もあるまじい。なれどもその夜は珍陀の酔《ゑひ》に前後も不覚の体《てい》ぢやによつて、しばしがほどこそ多勢を相手に、組んづほぐれつ、揉《も》み合うても居つたが、やがて足をふみすべらいて、思はずどうとまろんだれば、えたりやおうと侍だちは、いやが上にも折り重つて、怒り狂ふ「れぷろぼす」を高手小手に括《くく》り上げた。帝もことの体《てい》たらくを始終残らず御覧《ごらう》ぜられ、
「恩を讐《あだ》で返すにつくいやつめ。※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》土の牢へ投げ入れい。」と、大いに逆鱗《げきりん》あつたによつて、あはれや「れぷろぼす」はその夜の内に、見るもいぶせい地の底の牢舎へ、禁獄せられる身の上となつた。さてこの「あんちおきや」の牢内に囚《とら》はれとなつた「れぷろぼす」が、その後如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々は、まづ次のくだりを読ませられい。
三 魔往来のこと
さるほどに「れぷろぼす」は、未《いま》だ繩目もゆるされいで、土の牢の暗《やみ》の底へ、投げ入れられたことでおぢやれば、しばしがほどは赤子のやうに、唯おうおうと声を上げて、泣き喚《わめ》くより外はおりなかつた。その時いづくよりとも知らず、緋《ひ》の袍《ころも》をまとうた学匠《がくしやう》が、忽然《こつねん》と姿を現《あらは》いて、やさしげに問ひかけたは、
「如何《いか》に『れぷろぼす』。おぬしは何として、かやうな所に居るぞ。」とあつたれば、山男は今更ながら、滝のやうに涙を流いて、
「それがしは、帝に背《そむ》き奉つて、悪魔《ぢやぼ》に仕へようずと申したれば、かやうに牢舎致されたのでおぢやる。おう、おう、おう。」と歎き立てた。学匠はこれを聞いて、再びやさしげに尋ねたは、
「さらばおぬしは、今もなほ悪魔《ぢやぼ》に仕へようず望がおりやるか。」と申すに、「れぷろぼす」は頭《かうべ》を竪《たて》に動かいて、
「今もなほ、仕へようずる。」と答へた。学匠は大いにこの返事を悦んで、土の牢も鳴りどよむばかり、からからと笑ひ興じたが、やがて三度やさしげに申したは、
「おぬしの所望は、近頃殊勝千万ぢやによつて、これよりただちに牢舎を赦《ゆる》いてとらさうずる。」とあつて、身にまとうた緋の袍を、「れぷろぼす」が上に蔽うたれば、不思議や総身の縛《いまし》めは、悉《ことごと》くはらりと切れてしまうた。山男の驚きは申すまでもあるまじい。されば恐る恐る身を起いて、学匠の顔を見上げながら、慇懃《いんぎん》に礼を為《な》いて申したは、
「それがしが繩目を赦いてたまはつた御恩は、生々世々《しやうじやうよよ》忘却つかまつるまじい。なれどもこの土の牢をば、何として忍び出で申さうずる。」と云うた。学匠はこの時又えせ笑ひをして、
「かうすべいに、なじかは難からう。」と申しも果《はて》ず、やにはに緋の袍の袖をひらいて、「れぷろぼす」を小脇に抱《かか》いたれば、見る見る足下が暗うなつて、もの狂ほしい一陣の風が吹き起つたと思ふほどに、二人は何時《いつ》か宙を踏んで、牢舎を後に飄々《へうへう》と「あんちおきや」の都の夜空へ、火花を飛《とば》いて舞ひあがつた。まことやその時は学匠の姿も、折から沈まうず月を背負うて、さながら怪しげな大蝙蝠《おほかはほり》が、黒雲の翼を一文字に飛行《ひぎやう》する如く見えたと申す。
されば「れぷろぼす」は愈《いよいよ》胆を
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