獅子王をも手打ちにすると聞えた、万夫不当《ばんぷふたう》の剛の者でおぢやれば、「あんちおきや」の帝とても、なほざりの合戦はなるまじい。ぢやによつて今度の先手《さきて》は、今まゐりながら「れぷろぼす」に仰せつけられ、帝は御自《おんみづか》ら本陣に御輦《ぎよれん》をすすめて、号令を司《つかさど》られることとなつた。この采配を承つた「れぷろぼす」が、悦び身にあまりて、足の踏みども覚えなんだは、毛頭無理もおぢやるまい。
 やがて味方も整へば、帝は、「れぷろぼす」をまつさきに、貝金《かひがね》陣太鼓の音も勇しう、国ざかひの野原に繰り出された。かくと見た敵の軍勢は、元より望むところの合戦ぢやによつて、なじかは寸刻もためらはう。野原を蔽《おほ》うた旗差物が、俄《にはか》に波立つたと見てあれば、一度にどつと鬨《とき》をつくつて、今にも懸け合はさうずけしきに見えた。この時「あんちおきや」の人数の中より、一人悠々と進み出《だ》いたは、別人でもない「れぷろぼす」ぢや。山男がこの日の出《い》で立ちは、水牛の兜《かぶと》に南蛮鉄の鎧《よろひ》を着下《きおろ》いて、刃渡り七尺の大薙刀《おほなぎなた》を柄《え》みじかにおつとつたれば、さながら城の天主に魂が宿つて、大地も狭しと揺ぎ出《いだ》いた如くでおぢやる。さるほどに「れぷろぼす」は両軍の唯中に立ちはだかると、その大薙刀をさしかざいて、遙《はるか》に敵勢を招きながら、雷《いかづち》のやうな声で呼《よば》はつたは、
「遠からんものは音にも聞け、近くばよつて目にも見よ。これは『あんちおきや』の帝が陣中に、さるものありと知られたる『れぷろぼす』と申す剛の者ぢや。辱《かたじけな》くも今日は先手の大将を承り、ここに軍を出《いだ》いたれば、われと思はうずるものどもは、近う寄つて勝負せよやつ。」と申した。その武者ぶりの凄じさは、昔「ぺりして」の豪傑に「ごりあて」と聞えたが、鱗綴《うろことぢ》の大鎧に銅《あかがね》の矛《ほこ》を提《ひつさ》げて、百万の大軍を叱陀《しつた》したにも、劣るまじいと見えたれば、さすが隣国の精兵たちも、しばしがほどは鳴《なり》を静めて、出で合うずものもおりなかつた。ぢやによつて敵の大将も、この山男を討たいでは、かなふまじいと思ひつらう。美々しい物の具に三尺の太刀をぬきかざいて、竜馬《りゆうめ》に泡を食《は》ませながら、これも大音に名乗りをあげて、まつしぐらに「れぷろぼす」へ打つてかかつた。なれどもこなたはものともせいで、大薙刀をとりのべながら、二太刀三太刀あしらうたが、やがて得物をからりと捨てて、猿臂《ゑんぴ》をのばいたと見るほどに、早くも敵の大将を鞍壺《くらつぼ》からひきぬいて、目もはるかな大空へ、礫《つぶて》の如く投げ飛ばいた。その敵の大将がきりきりと宙に舞ひながら、味方の陣中へどうと落ちて、乱離骨灰《らりこつぱひ》になつたのと、「あんちおきや」の同勢が鯨波《とき》の声を轟かいて、帝の御輦《ぎよれん》を中にとりこめ、雪崩《なだれ》の如く攻めかかつたのとが、間《かん》に髪《はつ》をも入れまじい、殆ど同時の働きぢや。されば隣国の軍勢は、一たまりもなく浮き足立つて、武具馬具のたぐひをなげ捨てながら、四分五裂に落ち失《う》せてしまうた。まことや「あんちおきや」の帝がこの日の大勝利は、味方の手にとつた兜首《かぶとくび》の数ばかりも、一年の日数よりは多かつたと申すことでおぢやる。
 ぢやによつて帝は御悦び斜ならず、目でたく凱歌の裡《うち》に軍《いくさ》をめぐらされたが、やがて「れぷろぼす」には大名の位を加へられ、その上諸臣にも一々勝利の宴を賜つて、ねんごろに勲功をねぎらはれた。その勝利の宴を賜つた夜のことと思召《おぼしめ》されい。当時国々の形儀《かたぎ》とあつて、その夜も高名《かうみやう》な琵琶法師が、大燭台の火の下に節面白う絃《げん》を調じて、今昔《いまむかし》の合戦のありさまを、手にとる如く物語つた。この時「れぷろぼす」は、かねての大願を成就したことでおぢやれば、涎《よだれ》も垂れようずばかり笑み傾いて、余念もなく珍陀《ちんた》の酒を酌《く》みかはいてあつた所に、ふと酔うた眼にもとまつたは、錦の幔幕《まんまく》を張り渡いた正面の御座にわせられる帝《みかど》の異な御ふるまひぢや。何故と申せば、検校《けんげう》のうたふ物語の中に、悪魔《ぢやぼ》と云ふ言葉がおぢやると思へば、帝はあわただしう御手をあげて、必ず十字の印《しるし》を切らせられた。その御ふるまひが怪《け》しからずものものしげに見えたれば、「れぷろぼす」は同席の侍に、
「何として帝は、あのやうに十字の印を切らせられるぞ。」と、卒爾《そつじ》ながら尋ねて見た所がその侍の答へたは、
「総じて悪魔《ぢやぼ》と申すものは、天《あめ》が下の人間をも掌《たな
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