ればその事でおぢやる。まづわれらが量見にては、今|天《あめ》が下に『あんちおきや』の帝《みかど》ほど、武勇に富んだ大将もおぢやるまい。」と答へた。山男はそれを聞いて、斜《ななめ》ならず悦びながら、
「さらばすぐさま、打ち立たうず。」とて、小山のやうな身を起《おこ》いたが、ここに不思議がおぢやつたと申すは、頭の中に巣食うた四十雀《しじふから》が、一時にけたたましい羽音を残いて、空に網を張つた森の梢《こずゑ》へ、雛《ひな》も余さず飛び立つてしまうた事ぢや。それが斜に枝を延《のば》いた檜のうらに上つたれば、とんとその樹は四十雀が実のつたやうぢやとも申さうず。「れぷろぼす」はこの四十雀のふるまひを、訝《いぶか》しげな眼で眺めて居つたが、やがて又初一念を思ひ起いた顔色で、足もとにつどうた杣《そま》たちにねんごろな別をつげてから、再び森の熊笹を踏み開いて、元来たやうにのしのしと、山奥へ独り往《い》んでしまうた。
 されば「れぷろぼす」が大名にならうず願望がことは、間もなく遠近《をちこち》の山里にも知れ渡つたが、ほど経て又かやうな噂《うはさ》が、風のたよりに伝はつて参つた。と申すは国ざかひの湖で、大ぜいの漁夫《れふし》たちが泥に吸はれた大船をひきなづんで居つた所に、怪しげな山男がどこからか現れて、その船の帆柱をむずとつかんだと見てあれば、苦もなく岸へひきよせて、一同の驚き呆れるひまに、早くも姿をかくしたと云ふ噂ぢや。ぢやによつて「れぷろぼす」を見知つたほどの山賤《やまがつ》たちは、皆この情ぶかい山男が、愈《いよいよ》「しりや」の国中から退散したことを悟つたれば、西空に屏風《びやうぶ》を立てまはした山々の峰を仰ぐ毎に、限りない名残りが惜しまれて、自《おのづか》らため息がもれたと申す。まいてあの羊飼のわらんべなどは、夕日が山かげに沈まうず時は、必《かならず》村はづれの一本杉にたかだかとよぢのぼつて、下につどうた羊のむれも忘れたやうに、「れぷろぼす」恋しや、山を越えてどち行つたと、かなしげな声で呼びつづけた。さてその後「れぷろぼす」が、如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々はまづ次のくだりを読ませられい。

     二 俄大名のこと

 さるほどに「れぷろぼす」は、難なく「あんちおきや」の城裡《じやうり》に参つたが、田舎《ゐなか》の山里とはこと変り、この「あんちおきや
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