《あわ》てふためく事もおぢやつたと申し伝へた。
 なれど「れぷろぼす」は、性得《しやうとく》心根《こころね》のやさしいものでおぢやれば、山ずまひの杣《そま》猟夫《かりうど》は元より、往来の旅人にも害を加へたと申す事はおりない。反《かへ》つて杣《そま》の伐《き》りあぐんだ樹は推し倒し、猟夫《かりうど》の追ひ失うた毛物《けもの》はとつておさへ、旅人の負ひなやんだ荷は肩にかけて、なにかと親切をつくいたれば、遠近《をちこち》の山里でもこの山男を憎まうずものは、誰一人おりなかつた。中にもとある一村では、羊飼のわらんべが行き方知れずになつた折から、夜さりそのわらんべの親が家の引き窓を推し開くものがあつたれば、驚きまどうて上を見たに、箕《み》ほどな「れぷろぼす」の掌《たなごころ》が、よく眠入《ねい》つたわらんべをかいのせて、星空の下から悠々と下りて来たこともおぢやると申す。何と山男にも似合ふまじい、殊勝な心映えではおぢやるまいか。
 されば山賤《やまがつ》たちも「れぷろぼす」に出合へば、餅や酒などをふるまうて、へだてなく語らふことも度々おぢやつた。さるほどにある日のこと、杣《そま》の一むれが樹を伐らうずとて、檜山《ひやま》ふかくわけ入つたに、この山男がのさのさと熊笹の奥から現れたれば、もてなし心に落葉を焚《た》いて、徳利の酒を暖めてとらせた。その滴《しづく》ほどな徳利の酒さへ、「れぷろぼす」は大きに悦《よろこ》んだけしきで、頭の中に巣食うた四十雀にも、杣たちの食《は》み残いた飯をばらまいてとらせながら、大あぐらをかいて申したは、
「それがしも人間と生れたれば、あつぱれ功名手がらをも致いて、末は大名ともならうずる。」と云へば、杣たちも打ち興じて、
「道理《ことわり》かな。おぬしほどの力量があれば、城の二つ三つも攻め落さうは、片手業《かたてわざ》にも足るまじい。」と云うた。その時「れぷろぼす」が、ちともの案ずる体《てい》で申すやうは、
「なれどここに一つ、難儀なことがおぢやる。それがしは日頃山ずまひのみ致いて居れば、どの殿の旗下《はたもと》に立つて、合戦を仕《つかまつ》らうやら、とんと分別を致さうやうもござない。就いては当今天下無双の強者《つはもの》と申すは、いづくの国の大将でござらうぞ。誰にもあれそれがしは、その殿の馬前に馳《は》せ参じて、忠節をつくさうずる。」と問うたれば、
「さ
前へ 次へ
全15ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング