かちかち山
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)兎《うさぎ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)この時|漸《やうやく》
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 童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭の兎《うさぎ》とは、舌切雀《したきりすずめ》のかすかな羽音を聞きながら、しづかに老人の妻の死をなげいてゐる。とほくに懶《ものう》い響を立ててゐるのは、鬼ヶ島へ通《かよ》ふ夢の海の、永久にくづれる事のない波であらう。
 老人の妻の屍骸《しがい》を埋めた土の上には、花のない桜の木が、ほそい青銅の枝を、細《こまか》く空にのばしてゐる。その木の上の空には、あけ方の半透明な光が漂《ただよ》つて、吐息《といき》ほどの風さへない。
 やがて、兎は老人をいたわりながら、前足をあげて、海辺につないである二艘《にさう》の舟を指さした。舟の一つは白く、一つは墨をなすつたやうに黒い。
 老人は、涙にぬれた顔をあげて、頷《うなづ》いた。
 童話時代のうす明りの中に、一人の老人と一頭の兎とは、花のない桜の木の下に、互に互をなぐさめながら、力なく別れをつげた。老人は、蹲《うづくま》つたまま
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