レんやりどこかへ眼を据えていた。
「戸沢さんは大丈夫だって云ったの?」
 洋一は叔母には答えずに、E・C・Cを啣《くわ》えている兄の方へ言葉をかけた。
「二三日は間違いあるまいって云った。」
「怪しいな。戸沢さんの云う事じゃ――」
 今度は慎太郎が返事せずに、煙草《たばこ》の灰を火鉢へ落していた。
「慎ちゃん。さっきお前が帰って来た時、お母さんは何とか云ったかえ?」
「何とも云いませんでした。」
「でも笑ったね。」
 洋一は横から覗《のぞ》くように、静な兄の顔を眺めた。
「うん、――それよりもお母さんの側へ行くと、莫迦《ばか》に好い※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《におい》がするじゃありませんか?」
 叔母は答を促すように、微笑した眼を洋一へ向けた。
「ありゃさっきお絹ちゃんが、持って来た香水《こうすい》を撒《ま》いたんだよ。洋ちゃん。何とか云ったね? あの香水は。」
「何ですか、――多分|床撒《とこま》き香水とか何んとか云うんでしょう。」
 そこへお絹が襖の陰から、そっと病人のような顔を出した。
「お父さんはいなくって?」
「店に御出でだよ。何か用かえ?」
「ええ、お母
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