た。其処へ上野の方からは、開会式の帰りらしい馬車や人力車の行列が、しつきりなしに流れて来た。前田|正名《まさな》、田口卯吉、渋沢栄一、辻新次、岡倉覚三、下条正雄――その馬車や人力車の客には、さう云ふ人々も交つてゐた。
 五つになる次男を抱いた夫は、袂《たもと》に長男を縋《すが》らせた儘、目まぐるしい往来の人通りをよけよけ、時々ちよいと心配さうに、後ろのお富を振り返つた。お富は長女の手をひきながら、その度に晴れやかな微笑《ほほゑみ》を見せた。勿論二十年の歳月は、彼女にも老《おい》を齎《もたら》してゐた。しかし目の中に冴えた光は昔と余り変らなかつた。彼女は明治四五年頃に、古河屋政兵衛《こがやせいべゑ》の甥《をひ》に当る、今の夫と結婚した。夫はその頃は横浜に、今は銀座の何丁目かに、小さい時計屋の店を出してゐた。……
 お富はふと目を挙げた。その時丁度さしかかつた、二頭立ちの馬車の中には、新公が悠々と坐つてゐた。新公が、――尤《もつと》も今の新公の体は、駝鳥《だてう》の羽根の前立だの、厳《いか》めしい金モオルの飾緒だの、大小幾つかの勲章だの、いろいろの名誉の標章に埋まつてゐるやうなものだつた。
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