上に、少時《しばらく》の間|掴《つか》み合つた。この立ち廻りの最中に、雨は又台所の屋根へ、凄《すさ》まじい音を湊《あつ》め出した。光も雨音の高まるのと一しよに、見る見る薄暗さを加へて行つた。新公は打たれても、引つ掻かれても、遮二無二《しやにむに》お富を※[#「てへん+丑」、第4水準2−12−93]《ね》ぢ伏せようとした。しかし何度か仕損じた後、やつと彼女に組み付いたと思ふと、突然又|弾《はじ》かれたやうに、水口の方へ飛びすさつた。
「この阿魔あ!……」
 新公は障子を後ろにしたなり、ぢつとお富を睨《にら》みつけた。何時か髪も壊れたお富は、べつたり板の間に坐りながら、帯の間に挾んで来たらしい剃刀《かみそり》を逆手《さかて》に握つてゐた。それは殺気を帯びてもゐれば、同時に又妙に艶《なま》めかしい、云はば荒神の棚の上に、背を高めた猫と似たものだつた。二人はちよいと無言の儘、相手の目の中を窺《うかが》ひ合つた。が、新公は一瞬の後、わざとらしい冷笑を見せると、懐《ふところ》からさつきの短銃を出した。
「さあ、いくらでもぢたばたして見ろ。」
 短銃の先は徐《おもむ》ろに、お富の胸のあたりへ向つた。
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