吉は汽車に揺られながら、グラスゴオのパイプを啣《くわ》えていた。お嬢さんは何も眉毛ばかり美しかった訣《わけ》ではない。目もまた涼しい黒瞳勝《くろめが》ちだった。心もち上を向いた鼻も、……しかしこんなことを考えるのはやはり恋愛と云うのであろうか?――彼はその問にどう答えたか、これもまた記憶には残っていない。ただ保吉の覚えているのは、いつか彼を襲《おそ》い出した、薄明るい憂鬱《ゆううつ》ばかりである。彼はパイプから立ち昇る一すじの煙を見守ったまま、しばらくはこの憂鬱の中にお嬢さんのことばかり考えつづけた。汽車は勿論そう云う間《あいだ》も半面に朝日の光りを浴びた山々の峡《かい》を走っている。「Tratata tratata tratata trararach」
[#地から1字上げ](大正十二年九月)



底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama

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