覚えている。――お嬢さんも彼に会釈《えしゃく》をした!
やっと停車場の外へ出た彼は彼自身の愚《ぐ》に憤りを感じた。なぜまたお時儀などをしてしまったのであろう? あのお時儀は全然反射的である。ぴかりと稲妻《いなづま》の光る途端に瞬《またた》きをするのも同じことである。すると意志の自由にはならない。意思の自由にならない行為は責任を負わずとも好《よ》いはずである。けれどもお嬢さんは何と思ったであろう? なるほどお嬢さんも会釈をした。しかしあれは驚いた拍子《ひょうし》にやはり反射的にしたのかも知れない。今ごろはずいぶん保吉を不良少年と思っていそうである。一そ「しまった」と思った時に無躾《ぶしつけ》を詫《わ》びてしまえば好《よ》かった。そう云うことにも気づかなかったと云うのは………
保吉は下宿へ帰らずに、人影の見えない砂浜《すなはま》へ行った。これは珍らしいことではない。彼は一月五円の貸間と一食五十銭の弁当とにしみじみ世の中が厭《いや》になると、必ずこの砂の上へグラスゴオのパイプをふかしに来る。この日も曇天の海を見ながら、まずパイプへマッチの火を移した。今日《きょう》のことはもう仕方がない
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