おしの
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)南蛮寺《なんばんじ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一人|跪《ひざまず》いている
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ](大正十二年三月)
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ここは南蛮寺《なんばんじ》の堂内である。ふだんならばまだ硝子画《ガラスえ》の窓に日の光の当っている時分であろう。が、今日は梅雨曇《つゆぐも》りだけに、日の暮の暗さと変りはない。その中にただゴティック風の柱がぼんやり木の肌《はだ》を光らせながら、高だかとレクトリウムを守っている。それからずっと堂の奥に常燈明《じょうとうみょう》の油火《あぶらび》が一つ、龕《がん》の中に佇《たたず》んだ聖者の像を照らしている。参詣人はもう一人もいない。
そう云う薄暗い堂内に紅毛人《こうもうじん》の神父《しんぷ》が一人、祈祷《きとう》の頭を垂《た》れている。年は四十五六であろう。額の狭《せま》い、顴骨《かんこつ》の突き出た、頬鬚《ほおひげ》の深い男である。床《ゆか》の上に引きずった着物は「あびと」と称《とな》える僧衣らしい。そう云えば「こんたつ」と称《とな》える念珠《ねんじゅ》も手頸《てくび》を一巻《ひとま》き巻いた後《のち》、かすかに青珠《あおたま》を垂らしている。
堂内は勿論ひっそりしている。神父はいつまでも身動きをしない。
そこへ日本人の女が一人、静かに堂内へはいって来た。紋《もん》を染めた古帷子《ふるかたびら》に何か黒い帯をしめた、武家《ぶけ》の女房らしい女である。これはまだ三十代であろう。が、ちょいと見たところは年よりはずっとふけて見える。第一妙に顔色が悪い。目のまわりも黒い暈《かさ》をとっている。しかし大体《だいたい》の目鼻だちは美しいと言っても差支えない。いや、端正に過ぎる結果、むしろ険《けん》のあるくらいである。
女はさも珍らしそうに聖水盤《せいすいばん》や祈祷机を見ながら、怯《お》ず怯《お》ず堂の奥へ歩み寄った。すると薄暗い聖壇の前に神父が一人|跪《ひざまず》いている。女はやや驚いたように、ぴたりとそこへ足を止めた。が、相手の祈祷していることは直《ただち》にそれと察せられたらしい。女は神父を眺めたまま、黙然《もくねん》とそこに佇《たたず》んでいる。
堂内は不相変《あいかわらず》ひっそりしている。神父も身動きをしなければ、女も眉《まゆ》一つ動かさない。それがかなり長い間《あいだ》であった。
その内に神父は祈祷をやめると、やっと床《ゆか》から身を起した。見れば前には女が一人、何か云いたげに佇《たたず》んでいる。南蛮寺《なんばんじ》の堂内へはただ見慣れぬ磔仏《はりきぼとけ》を見物に来るものも稀《まれ》ではない。しかしこの女のここへ来たのは物好きだけではなさそうである。神父はわざと微笑しながら、片言《かたこと》に近い日本語を使った。
「何か御用ですか?」
「はい、少々お願いの筋がございまして。」
女は慇懃《いんぎん》に会釈《えしゃく》をした。貧しい身なりにも関《かかわ》らず、これだけはちゃんと結《ゆ》い上げた笄髷《こうがいまげ》の頭を下げたのである。神父は微笑《ほほえ》んだ眼に目礼《もくれい》した。手は青珠《あおたま》の「こんたつ」に指をからめたり離したりしている。
「わたくしは一番《いちばん》ヶ瀬《せ》半兵衛《はんべえ》の後家《ごけ》、しのと申すものでございます。実はわたくしの倅《せがれ》、新之丞《しんのじょう》と申すものが大病なのでございますが……」
女はちょいと云い澱《よど》んだ後《のち》、今度は朗読でもするようにすらすら用向きを話し出した。新之丞は今年十五歳になる。それが今年《ことし》の春頃から、何ともつかずに煩《わずら》い出した。咳《せき》が出る、食欲《しょくよく》が進まない、熱が高まると言う始末《しまつ》である、しのは力の及ぶ限り、医者にも見せたり、買い薬もしたり、いろいろ養生《ようじょう》に手を尽した。しかし少しも効験《こうけん》は見えない。のみならず次第に衰弱する。その上この頃は不如意《ふにょい》のため、思うように療治《りょうじ》をさせることも出来ない。聞けば南蛮寺《なんばんじ》の神父の医方《いほう》は白癩《びゃくらい》さえ直すと云うことである。どうか新之丞の命も助けて頂きたい。………
「お見舞下さいますか? いかがでございましょう?」
女はこう云う言葉の間《ま》も、じっと神父を見守っている。その眼には憐《あわれ》みを乞う色もなければ、気づかわしさに堪えぬけはいもない。ただほとんど頑《かたく》なに近い静かさを示しているばかりである。
「よろしい。見て上げましょう。」
神父は顋鬚《あごひげ》を引張りながら、考え深
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