切っていたから、話をする勇気も出なかったのである。
 すると突然一同の耳は、はっきりと意外な言葉を捉《とら》えた。
「わたしはおん教を捨てる事に致しました。」
 声の主はおぎんである。見物は一度に騒《さわ》ぎ立った。が、一度どよめいた後《のち》、たちまちまた静かになってしまった。それは孫七が悲しそうに、おぎんの方を振り向きながら、力のない声を出したからである。
「おぎん! お前は悪魔《あくま》にたぶらかされたのか? もう一辛抱《ひとしんぼう》しさえすれば、おん主《あるじ》の御顔も拝めるのだぞ。」
 その言葉が終らない内に、おすみも遥《はる》かにおぎんの方へ、一生懸命な声をかけた。
「おぎん! おぎん! お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ。祈っておくれ。」
 しかしおぎんは返事をしない。ただ眼は大勢《おおぜい》の見物の向うの、天蓋《てんがい》のように枝を張った、墓原《はかはら》の松を眺めている。その内にもう役人の一人は、おぎんの縄目を赦《ゆる》すように命じた。
 じょあん[#「じょあん」に傍線]孫七はそれを見るなり、あきらめたように眼をつぶった。
「万事にかない給うおん主《あるじ》
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