うじん》を妨《さまた》げるため、あるいは見慣れぬ黒人《こくじん》となり、あるいは舶来《はくらい》の草花《くさばな》となり、あるいは網代《あじろ》の乗物となり、しばしば同じ村々に出没した。夜昼さえ分たぬ土の牢《ろう》に、みげる[#「みげる」に傍線]弥兵衛を苦しめた鼠《ねずみ》も、実は悪魔の変化《へんげ》だったそうである。弥兵衛は元和八年の秋、十一人の宗徒と火炙《ひあぶ》りになった。――その元和か、寛永か、とにかく遠い昔である。
やはり浦上の山里村《やまざとむら》に、おぎんと云う童女が住んでいた。おぎんの父母《ちちはは》は大阪《おおさか》から、はるばる長崎へ流浪《るろう》して来た。が、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。勿論《もちろん》彼等他国ものは、天主のおん教を知るはずはない。彼等の信じたのは仏教である。禅《ぜん》か、法華《ほっけ》か、それともまた浄土《じょうど》か、何《なに》にもせよ釈迦《しゃか》の教である。ある仏蘭西《フランス》のジェスウイットによれば、天性|奸智《かんち》に富んだ釈迦は、支那《シナ》各地を遊歴しながら、阿弥陀《あみだ》と称す
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