変る」尊いさがらめんと[#「さがらめんと」に傍線]を信じている。おぎんの心は両親のように、熱風に吹かれた沙漠《さばく》ではない。素朴《そぼく》な野薔薇《のばら》の花を交《まじ》えた、実りの豊かな麦畠である。おぎんは両親を失った後、じょあん[#「じょあん」に傍線]孫七の養女になった。孫七の妻、じょあんな[#「じょあんな」に傍線]おすみも、やはり心の優しい人である。おぎんはこの夫婦と一しょに、牛を追ったり麦を刈ったり、幸福にその日を送っていた。勿論そう云う暮しの中にも、村人の目に立たない限りは、断食や祈祷《きとう》も怠った事はない。おぎんは井戸端《いどばた》の無花果《いちじく》のかげに、大きい三日月《みかづき》を仰ぎながら、しばしば熱心に祈祷を凝《こ》らした。この垂れ髪の童女の祈祷は、こう云う簡単なものなのである。
「憐みのおん母、おん身におん礼をなし奉る。流人《るにん》となれるえわ[#「えわ」に傍線]の子供、おん身に叫びをなし奉る。あわれこの涙の谷に、柔軟《にゅうなん》のおん眼をめぐらさせ給え。あんめい[#「あんめい」に傍線]。」
するとある年のなたら[#「なたら」に傍線](降誕祭《クリスマス》)の夜《よ》、悪魔《あくま》は何人かの役人と一しょに、突然|孫七《まごしち》の家《いえ》へはいって来た。孫七の家には大きな囲炉裡《いろり》に「お伽《とぎ》の焚《た》き物《もの》」の火が燃えさかっている。それから煤《すす》びた壁の上にも、今夜だけは十字架《くるす》が祭ってある。最後に後ろの牛小屋へ行けば、ぜすす[#「ぜすす」に傍線]様の産湯《うぶゆ》のために、飼桶《かいおけ》に水が湛《たた》えられている。役人は互に頷《うなず》き合いながら、孫七夫婦に縄《なわ》をかけた。おぎんも同時に括《くく》り上げられた。しかし彼等は三人とも、全然悪びれる気色《けしき》はなかった。霊魂《アニマ》の助かりのためならば、いかなる責苦《せめく》も覚悟である。おん主《あるじ》は必ず我等のために、御加護《おんかご》を賜わるのに違いない。第一なたら[#「なたら」に傍線]の夜《よ》に捕《とら》われたと云うのは、天寵《てんちょう》の厚い証拠ではないか? 彼等は皆云い合せたように、こう確信していたのである。役人は彼等を縛《いまし》めた後《のち》、代官の屋敷へ引き立てて行った。が、彼等はその途中も、暗夜《やみよ》
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