切っていたから、話をする勇気も出なかったのである。
すると突然一同の耳は、はっきりと意外な言葉を捉《とら》えた。
「わたしはおん教を捨てる事に致しました。」
声の主はおぎんである。見物は一度に騒《さわ》ぎ立った。が、一度どよめいた後《のち》、たちまちまた静かになってしまった。それは孫七が悲しそうに、おぎんの方を振り向きながら、力のない声を出したからである。
「おぎん! お前は悪魔《あくま》にたぶらかされたのか? もう一辛抱《ひとしんぼう》しさえすれば、おん主《あるじ》の御顔も拝めるのだぞ。」
その言葉が終らない内に、おすみも遥《はる》かにおぎんの方へ、一生懸命な声をかけた。
「おぎん! おぎん! お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ。祈っておくれ。」
しかしおぎんは返事をしない。ただ眼は大勢《おおぜい》の見物の向うの、天蓋《てんがい》のように枝を張った、墓原《はかはら》の松を眺めている。その内にもう役人の一人は、おぎんの縄目を赦《ゆる》すように命じた。
じょあん[#「じょあん」に傍線]孫七はそれを見るなり、あきらめたように眼をつぶった。
「万事にかない給うおん主《あるじ》、おん計《はか》らいに任せ奉る。」
やっと縄を離れたおぎんは、茫然《ぼうぜん》としばらく佇《たたず》んでいた。が、孫七やおすみを見ると、急にその前へ跪《ひざまず》きながら、何も云わずに涙を流した。孫七はやはり眼を閉じている。おすみも顔をそむけたまま、おぎんの方は見ようともしない。
「お父様《とうさま》、お母様《かあさま》、どうか勘忍《かんにん》して下さいまし。」
おぎんはやっと口を開いた。
「わたしはおん教を捨てました。その訣《わけ》はふと向うに見える、天蓋のような松の梢《こずえ》に、気のついたせいでございます。あの墓原の松のかげに、眠っていらっしゃる御両親は、天主のおん教も御存知なし、きっと今頃はいんへるの[#「いんへるの」に傍線]に、お堕《お》ちになっていらっしゃいましょう。それを今わたし一人、はらいそ[#「はらいそ」に傍線]の門にはいったのでは、どうしても申し訣《わけ》がありません。わたしはやはり地獄《じごく》の底へ、御両親の跡《あと》を追って参りましょう。どうかお父様やお母様は、ぜすす[#「ぜすす」に傍線]様やまりや[#「まりや」に傍線]様の御側《おそば》へお出でなすって下
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