いますが。」
 女の目はおどおどしてゐる。口もとも無理に微笑してゐる。殊に滑稽に見えたのは鼻も亦つぶつぶ汗をかいてゐる。保吉は女と目を合せた刹那《せつな》に突然悪魔の乗り移るのを感じた。この女は云はば含羞草《おじぎさう》である。一定の刺戟を与へさへすれば、必ず彼の思ふ通りの反応を呈するのに違ひない。しかし刺戟は簡単である。ぢつと顔を見つめても好い。或は又指先にさはつても好い。女はきつとその刺戟に保吉の暗示を受けとるであらう。受けとつた暗示をどうするかは勿論未知の問題である。しかし幸ひに反撥しなければ、――いや、猫は飼つても好《い》い。が、猫に似た女の為に魂を悪魔に売り渡すのはどうも少し考へものである。保吉は吸ひかけた煙草と一しよに、乗り移つた悪魔を抛《はふ》り出した。不意を食《くら》つた悪魔はとんぼ返る拍子に小僧の鼻の穴へ飛びこんだのであらう。小僧は首を縮めるが早いか、つづけさまに大きい嚏《くさめ》をした。
「ぢや仕かたがない。Droste を一つくれ給へ。」
 保吉は苦笑を浮かべたまま、ポケツトのばら銭を探り出した。
 その後も彼はこの女と度たび同じやうな交渉を重ねた。が、悪魔に乗り移ら
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