久米が牛耳《ぎうじ》を執る形があつた。その日も彼が音頭とりで、大分議論を上下したが、何かの関係で田山花袋氏が度々問題に上つたやうに記憶する。
今になつて公平に考へれば、自然主義運動があれ丈《だけ》大きな波動を文壇に与へたのも、全く一つは田山氏の人格の力が然らしめたのに相違ない。その限りに於て田山氏は、氏の「妻」や「田舎教師」が如何《いか》に退屈であるにしても、乃至《ないし》又氏の平面描写論が如何に幼稚であるにしても、確に我々後輩の敬意――とまで行かなければ、少くとも興味位は惹《ひ》くに足る人物だつた。が、遺憾ながら当時の我々は、まだこの情熱に富んだ氏の人格を、評価するだけの雅量に乏しかつた。だから我々は氏の小説を一貫して、月光と性慾とを除いては、何ものも発見する事は出来なかつた。と同時に氏の感想や評論も、その怪しげな 〔a` la Huysmans〕 の入信生活を聞かされる度に、先《まづ》 Durtal と田山花袋氏との滑稽な対照を思ひ出させて、徒《いたづら》に我々の冷笑を買ふばかりだつた。では我々は氏を目して、全然ハムバツグとしてゐたかと云ふと必しも亦さうぢやない。成程小説家として
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