した」と訊くから、「やつと『鼻』を半分ばかり書いた」と答へた。成瀬も今年の夏、日本アルプスへ行つた時の話を書きかけてゐると云ふ事だつた。それから三人で、久米の拵へた珈琲《コオヒイ》を飲みながら、創作上の話を長い間した。久米は文壇的閲歴の上から云つて、ずつと我々より先輩だつた。と同時に又表現上の手腕から云つても、やはり我々に比べると、一日の長がある事は事実だつた。特に自分はこの点で、久米が三幕物や一幕物を容易にしかも短い時間で、書き上げる技倆に驚嘆してゐた。だから我々の中で久米だけは、彼自身の占めてゐる、或は占めんとする、文壇的地位に相当な自信を持つてゐた。さうしてその自信が又一方では、絶えず眼高手低の歎を抱いてゐる我々に、我々自身の自信を呼び起す力としても働いてゐた。実際自分の如きは、もし久米と友人でなかつたら、即《すなはち》彼の煽動《せんどう》によつて、人工的にインスピレエシヨンを製造する機会がなかつたなら、生涯一介の読書子たるに満足して、小説なぞは書かなかつたかも知れない。さう云ふ次第だから創作上の話になると――と云ふより文壇に関係した話になると、勢《いきほひ》何時も我々の中では、
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