新聞は、雨の街を人力車などの走つてゐる写真をのせてゐた。
夕飯にしや[#「や」に「ママ」の注記]うかどうしや[#「や」に「ママ」の注記]うかと思つてゐると、――暖かいには暖かいが、と隣家のふたをあけたまゝのラヂオが三味線をひいた後天気予報をやり出した。
私は便所に立つて、小降りのうちに水をくんだ。そして、塩鮭と白菜の漬物を茶ぶ台に揃へて、その前にきちんと坐つた。
(暖かいには暖た[#「た」に「ママ」の注記]かいが、さて連日はつきりしない、北の風が吹いて雨が降りつのる。この天候は日本の東から南の海へ横たはつてゐる気圧の低い谷を、低気圧がじゆず[#「じゆず」に傍点]のやうに連らなつて進んでゐるためで、まだ一両日はこのまゝつゞく)――と、ラヂオは昨日と同じことを言ふのであつた。
学識
自分の眼の前で雨が降つてゐることも、雨の中に立ちはだかつて草箒をふり廻して、たしかに降つてゐることをたしかめてゐるうちにずぶぬれになつてしまふことも、降つてゐる雨には何のかゝはりもないことだ。
私はいくぶん悲しい気持になつて、わざわざ庭へ出てぬれた自分を考へた。そして、雨の中でぬれてゐた自分の形がもう庭にはなく、自分と一緒に縁側からあがつて部屋の中まで来てゐるのに気がつくと、私は妙にいそがしい気持になつて着物をぬいでふんどし一本の裸になつた。
(何といふことだ)裸になると、うつかり私はも一度雨の中へ出てみるつもりになつてゐた。何がこれなればなのか、私は何か研究するつもりであつたらしい。だが、「裸なら着物はぬれない――」といふ結論は、誰かによつて試め[#「め」に「ママ」の注記]されてゐることだらうと思ふと、私は恥かしくなつた。
私はあまり口数をきかずに二日も三日も降りつゞく雨を見て考へこんだ。そして、雨は水なのだといふこと、雨が降れば家が傘になつてゐるやうなものだといふことに考へついた。
しかし、あまりきまりきつたことなので、私はそれで十分な満足はしなかつた。
家
夕暮になつてさしかけたうす陽が消え、次第に暗くなつて、何時ものやうに西風が出ると露路[#「路」に「ママ」の注記]に電燈がついてゐた。そして、夜になつた。私は雨戸を閉めるときから雨戸の内側にゐたのだ。外側から閉めて、何処かへ帰つて行つたのではないのだ。
毎月の家賃を払ふといふので、貸してもらつてゐる家を自分の家ときめてゐる心安さは、便所はどこかと聞かずにもすみ、壁にかゝつてゐるしわくちやの洋服や帽子が自分の背丈や頭のインチに合ひずぼんの膝のおでんのしみもたいして苦にはならぬが、二人の食事に二人前の箸茶碗だけしかをそろへず、箸をとつては尚のこと自分のことだけに終始して胃の腑に食物をつめ込むことを、私は何か後めたいことに感じながらゐるのだ。まだ大人になりきらない犬が魚の骨を食ひに来る他は、夜になると天井のねずみが野菜を食ひに出てくる位ひ[#「ひ」に「ママ」の注記]のもので、台所はいつも小さくごみつぽく、水などがはねて、米櫃のわきにから瓶などが列[#「列」に「ママ」の注記]らんでゐる。又、一山十銭の蕗の薹を何故食べぬうちにひからびさしてしまつたかとは、すてるときに一ツが芥箱の外へころがり出る感情なのであろうか。
夜の飯がすんで、後は寝るばかりだといふたあいなさでもないが、私は結局寝床に入[#「入」に「ママ」の注記]いつて、夜中に二度目をさまして二度目に眠れないで煙草をのんでゐたりするのだ。ときには天井の雨漏りが寝てゐる顔にも落ちてくるのだが、朝は、誰も戸を開けに来るのではなくいつも内側から開けてゐるのだ。眼やになどをつけたとぼけた顔に火のついた煙草などをくはへて、もつともらしく内側から自分の家のふたを開けるのだ。
おまけ 滑稽無声映画「形のない国」の梗概
形のない国がありました。飛行機のやうなものに乗つて国の端を見つけに行つても、途中から帰つて来た人達が帰つてくるだけで、何処までも行つた人達は永久に帰つては来ないのでした。勿論この国にも大勢の博士がゐましたから、どの方向を見ても見えないところまで広いのだからこの国は円形だと主張する一派や、その反対派がありました。反対派の博士達は三角形であると言ふのでしたが、なんだか無理のありさうな三角説よりも円形説の方がいくぶん常識的でもあり「どつちを見ても見えないところまで云云……」などといふ証明法などがあるので、どつちかといふと円形だといふ方が一般からは重くみられてゐました。円にしても三角にしても面積をあらはさうとしてはゐるのですが、確かな測量をしたのではないのですからあてにはなりませんでした。或る時、この二つの派のどちらにもふくまれてゐない博士の一人が、突然気球に乗つて出来るだけ高く登つて下の方を写真に写して降りて来てず
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