お出しるものかな、ありがたいおばあさまだに!』
『なに、なに俺もまあおっ母さんがいい人だでお世話になって居れたんだが……』
 老婆はそんな風に云って見ずにゐられなかった。さう口に出して云って見ると、今更に頼りない境遇がはっきりして来るやうだった。そして相手になって呉れる人に何かしら愚痴を聞いて貰ひたい心にならずにゐられなかった。誰もがいつも当り障りのない言葉をかけて呉れるのが物足りなかった。どんな他愛ない事でも口へ出して云って見ると胸がすっとするものだった。肚にある事を残らず云ったり云はれたりして見なければどうにも胸が納まらぬのだった。老婆は只愚痴を云って胸を納めて見るより他仕方なかった。
『俺ももういつ死んでもいいんだが……それでも下手な死に様をしてごらんな、それこそ家の名にかかわることだで……』
 老婆は、近処の者には家の人達には云へないやうな事を云って見たりした。
 その癖世話を焼きたい性分で、母屋へ行って見ても、畠へ出て見ても捨てて置けない事許りのやうな気がした。
『みんな勝手にするがいい……どうならうと俺はもう構はん……』老婆は思ふやうにならない癇癪を隠居所へ戻って来てはせめて独り言に洩らすのだった。
 孫娘のみつ子も疾《と》うに町の方へ嫁に行ってゐた。みつ子の嫁入の時は、『おばあさまのお蔭でこんなに着物が沢山出来た!』と手取りの絹を胴裏にまでつけた着物を見せられて悦ばれたものだったが、老婆も次第に手が硬くなって好きな糸取りも出来なくなった。
 老婆は引き続いて生れる曽孫の子守を次々に引受けた。子供が重くなって手に余る頃には又次の赤ん坊が生れてゐた。
 老婆の心では出来る丈働くつもりでももう思ふ様に体が動かなかったし、ためになるつもりでやる事が却って反対の結果を生んだ。
 蚕の手伝ひは最も好きな仕事で、『おばあさま繭掻きとなるとまるで夢中で御飯食べる事も忘れて了ふ……』とよくかめよが笑ったりしたものだが、今ではもう『巣掻かん蚕迄拾ふ』とか『上繭も中繭も区別が出来ん』とか、蔭では苦情許り云はれて有難迷惑にされるやうになった。
 老婆はある時末の男の子を背負ったまま、近くの溝川へ落ち込んで、子供も自分も頭を血だらけにして帰って来た。
 左半分が兎角不自由勝ちだった。
 その時以来子守仕事も老婆の役目ではなくなった。その上老婆の頭の傷ははかばかしく癒らなかった。単純な化膿ではないといふ事だった。身にひそんでゐた病気が有るのだった。老婆は目に見えて衰へが来てゐた。

『勝野さん、俺れもこんな者になって了って全く悲しいよ!』
 老婆は利かなくなった左の手を出して見せた。
『ふんとに手は利かんし足は利かんし俺れも生き過ぎてしまったよ!』
 勝野老人はあたり前だといふ顔をした。
『おまいはなんにも云ふことはないよ……楽隠居でなんに不足がある。有難く思ってさへ居ればそれでいいんだな!』
 さういふ勝野老人はひどく屈託を持ってゐる顔付きだった。
『もうあかん、荷が苦になるやうになったらもうあかん……』
 勝野老人は吉田迄来ると思はず溜息をついて云った。老人もめっきり年取ってどこか影のうすいやうなとぼとぼした歩きつきだった。
『勝野さんもなんだかながいことはないやうだ……』
 かめよは夫にさう云って、次の間に寝てゐる老人の不規則な寝息を聴いた。
『うん、老爺も養子にゃ逃げられるし、それに第一商売がもう行きどまりだでえらからうよ!』
 かめよ夫婦は暫くそんな話をしてゐた。
 勝野老人の身辺にも目に見えて変遷が有った。老人があれ程信頼してゐた養子にも裏切られた。養子は嫁を貰ってから間なく老人の手許を飛び出して独立で洋食屋を経営しはじめてゐて、老人夫婦とは縁を切った形だった。
 老人の商売も時世に取り残された。村から村を廻って歩いてもいくらの収入にもならなかった。今ではもう村々の得意先で永年の誼みに泊めて貰って口稼するに過ぎない状態だった。
 勝野老人は今度吉田へ来るにつけても、どうしても云ひ出しにくい事を云はねばならない切破詰った事情を持ってゐるのだった。
 それをどう切りだしていいか、縁故と云へば何もなかった。単に老婆を世話したといふ位のものだった。それ位の理由で、(気難かしい当家《ここ》の大将)が早速頼みを容れて判を押して呉れるかどうか……。
 勝野老人はどう切り出したものかといふ事を考へあぐんでゐた。そして心が慰まなかった。
『俺ももう一度おとしの墓参りに行って来たいと思ったんだが……』
 老婆はそれも口に出して云って見るに過ぎない調子で云った。
 老いた二人は別に話す事もみつからぬといふ風で途切れ勝ちに話し合ってゐた。
 老婆は次第に独りゐる時を好むやうになった。母屋の方へもたまにしか出て行かなかった。たまに行って見ても子供達も何となくよそよそしい眼をするやうだった。『年寄りはきたない』さういふ冷たい眼があるやうだった。老婆は母屋へお茶に招ばれて行って、賑やかな茶飯時の一座の中でふいと水臭いものを感じた。子供が大勢でみんなてんでに笑ったり泣いたり罵ったりするにつけても、そこに親子兄妹の肉親につながるもの同士が持つ親しい解け合った雰囲気があるやうに見えた。その中にゐて只自分丈がその雰囲気から仲間外れになってゐるやうなよわい感じ……老婆はそれを屡々感じなければならなかった。
 それは只気持の上のことなのだが――。
 稀にみつ子が町から帰ると『隠居のおばあさまに』さう云って老婆の所へも何かしら手土産を持って来た。老婆はそれが何より嬉しかった。そしてかめよから貰って持ってゐる小遣ひを無理にみつ子に手渡してきかなかった。『おばあさまは私をまだ子供扱ひで……』みつ子は母親のかめよと顔を見合はせて笑った。
 さういふ母親はたまに出逢って、話しても話しても尽きないと云ふやうに睦び合って、如何にも楽しさうに見えた、かめよは何彼につけてみつ子の噂をたのしんだ。
 老婆はどっちを向いても独りぼっちだった。肉身としての深い愛情をそそぐものも、そそいで呉れるものもない寂寥を只身一つに背負ってゐるやうに隠居所の炉端にひとりぼんやり坐ってゐる時が多かった。
 そして思ふやうに動けぬ自分の体を自分で持て余すやうな焦燥もいつか年と共に消えて了ってゐた。
 若い時から人一倍壮健で、たくましい胃を持ってゐる老婆は食慾だけは年取ってもさかんだった。只食べて眠る丈の慰安がそこにあった。そしてひとりで煮炊をしてゐるとその方がずっと気楽でたまに『本家で食べておいでな』と云はれても母屋では落付いて食べる気にならないので、いつも断って帰って来た。
 ある晩だった。今夜は御馳走が出来るから食べずに待つやうにと云はれたので、老婆は夕方から待ち切った。炉端につくねんと坐って火を焚き乍ら足音の聞える度に耳を澄ました。
 随分待ったが何の沙汰もない。待ちあぐんで炬燵に戻って待って見た。それでも持って来る気配がない。老婆は次第に空腹が増すに連れてヂリヂリして来た。
 忘れてゐるのだらうか? さう思ふとなんとも云へぬ忌々しい気持になった。
 行って見ようか? さう思ふ一方で、構ふことはない、棄てておいてやれといふいっそ自棄的な気持ちが湧いてみじめな自分をそのままにして置く気にもなった。なにも彼も悲しく呪はしくなった。そして今迄にもこんな思ひに度々出逢ったやうな気がして来た。
 大家内の母屋では子供に紛れてつい忘れてゐた。
 かめよも老婆の為にはいつも特別気を配ってゐるのだが今夜に限って何か紛れてゐて遂それなりになった。もう後片付も済まして皆奥へ引込んだ時だった。かめよがふと『おばあさまには上げつらなァ?』と云ったので気がついて(しまった事をした)といふので繁子は大急ぎでお萩の鉢を運んで来た。
『えらい遅くなって申訳なかったなむ』繁子は戸間口からさう声を掛けて入ったが老婆は炬燵の中に体を埋めるやうにしてゐた。『ナァに』と口軽く云ふつもりで声が震へさうで何も云へなかった。
 繁子は困った顔をし乍ら出て行った。
 すぐ後からわざわざかめよがやって来た。
 鉢はまだ上り端に置かれてあった。
『おばあさま、えらいわるいことをしたなむ、サア早く食べておくんな!』
『ナァに』老婆はよわよわしく微笑をしようとした。
『本家の方もゴタゴタしてをるでつい忘れてしまって……そいだがおばあさまも催促に来てお呉れりゃいいぢゃないかな? なんにもわる気のあることぢゃないに……一寸声を掛けと呉れりゃそれで済むことぢゃないかな!』
 かめよにさう云はれると、嵐の荒れ狂ったやうな胸のうちがすこしをさまって来るやうな気になった。
 老婆はもの憂く立ち上って炉端へ膳を運んだ。

 もう秋も末だった。
 きびしい霜が白々と降りた朝だった。
 一晩のうちに外の面のものが黒く素枯れて行く恐ろしい寒気は家の内へも侵入して来て、ひしひしと老婆の五体に滲み通った。
 その朝から老婆は腰が立てなくなり、部屋のうちを這い廻ってゐた。何気なく水を運んで来た繁子は老婆の変り果てた姿にびっくりさせられた。老婆はもうすっかり痴呆状態になってゐて人の声さへ耳に入らなかった。
 かめよはその頃、盲腸炎を病んで町の病院で手術後の危険な時期を呻吟してゐた。
『どうもおばあには弱ったよ、臀の始末が自分で出来ん癖に、自分で始末する気でウロウロ這ひだしたりそこら汚したりして……』
 夫の話を聞いて、かめよはなんたらことだかと思った。(おばあさまは俺が引受けたつもりだったに)さう思ふと自分の体が歯掻ゆかった。
 さう思ふかめよも既に六十を越えた老体で病後の経過がはかばかしくは行かなかった。
 かめよは年の暮になって漸くの思ひで退院して来た。老婆はかめよを見るとそれでも『おっ母さん』と呼んで見たがもう直ぐ記憶が錯雑してとりとめのない事を云ひ続けた。
 手伝ひのために隣家の娘を頼み込んであったが老婆の世話は赤ん坊よりも始末が悪かった。正月も過ぎる頃には誰の眼にも遣り切れない当惑の色が浮んでゐた。
 老婆はある朝ふっと正気に返った。
 そして汚れものの始末も他人に任せている自分自身のみじめな姿をはっきり見た。
『だから俺は娘が欲しいって思ったんだ……』
 老婆はそれをはっきりと口へだして云って見た。突然にさう云ったので傍にゐた隣家の娘はけげん相な顔をした。そして薄気味わるさうにした。
 老婆はまじまじと一つところをみつめた。
 もう身をもがく丈の力もなかった。
 やがて老婆は再び昏迷に落ちて行った。
 絶え間のない譫《うは》言がつづけられた。ひっきりなしに人の名を呼びつづけた。それが誰の名を呼ぶとも聞えず丁度赤児の泣声のやうにきこえた。
そしてだんだんに声が細り消えるかのやうに息を引取った――。
 二月半ばの大雪の晴れた日に、老婆の亡骸は柩に納められて、吉田家の墓地の片隅に埋められた。
『各務いそ之墓』白木の墓標にはさう録《しる》されてあった。行年八十九歳と横には書かれてあった。
 葬式に集った近処の人達は、初めて知った老婆の姓を珍らし顔に眺めた。
 老婆がはじめに年齢を三つ程隠して来たといふ事も今度の御大典の時町の役場からの照会で解ったといふ話もはじめて出た。
 年には不足がないと云ふ訳で、鹿爪らしいお悔みを云ふ者もなかった。みんなてんでに思ひ思ひの事を口に出して話し合った。
 他人許りののんきさがそこにあった。
『皆様のお蔭で賑やかなお葬式が出来まして!』
 かめよはさう挨拶をくり返した。
『仕合せなおばあさまだった!』
 女房達はさう云った。それは決してお世辞にいふのではなかった。
 貧乏に追はれて暮す者から見れば、食べるものにも着るものにも不自由なく長命できればそれを仕合せと思ふより他思ひやうがなかった。そして『長生した人のは縁起がいい!』と云って、老婆の着古したやうなものをよろこんで貰って行った。

 かめよは隠居所の跡片付をあらかた終へた。がっかりしたやうな安心の気持ちだった。
 勝手道具を整理したり、古い行李や箪笥の中を片つけた。麻の単衣とか黒繻
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