で、紋の付いた羽織ぐらい着て来てもよからずに……」
 さう云って志津の隣家に当る松下の理之助の事を皮肉ってゐた。
 ひとりの妹もこの冬産後の病気で死んだ。
 志津は足手まとひの四人の子供と共に取り残された。

 夕方になって久衛が学校から帰って来た。
 泣かされて来たのか顔が涙でグジャグジャに汚れてゐる。「なにしとったの! 今頃まで……」志津は畑にゐて一寸嶮しい顔をして見せた。
 久衛は肩から鞄を外しかけたがぐづぐづした。
「御飯食べてもいい?」志津が黙って頷くのを見ると久衛は元気好く勝手へ入って行った。
「さっさと食べて来て草を削るんだに……」
 志津は外から怒鳴った。
          五
からだは大分よくなりました。まだ時々背中が痛みますが大したことはありません。
今は夏肥がはじまって毎日畠へ出てゐます。
野襦袢が破れてしまったから、かはりのを送って下さい。股引も破れてしまひました。
米は盆まへに一斗だけもらって持って行きます。もうそれ以上ここから出してもらふことはむづかしいやうです。
伯母さまたちの腹を思ふと私も辛くあります。家では蚕はどうしますか。
  おだいじにして下さい。
[#地から4字上げ]喜八郎
   母上さま
 志津は手紙を繰返して読んだ。
 春蚕だけでも二百貫以上取る、利国の生家の激しい労働が思ひ遣られた。喜八郎はそこで下男として働いてゐるのである。
 利国の死後、中村家の方から「小作料は当分取らぬ事にする、その代り岡島の講の返金をするやうに」と云ひ渡された。
 それは情有る言葉のやうで実はさうではなかった。岡島家の無尽と云へば、一口千七百円の大口のもので、それが最初に取ったきり捨ててあったから利息が積った上、短期間の返済を迫られてゐるものだった。窪のおふじの家の無尽もその儘になってゐる矢先にさう云ひ渡されたことは、志津一家に取って致命的な負債を負はされたのであり、それは喜八郎がそのままそっくり背負はせられて、否応なしに泥沼の中を永久的にもがきつづけて行かぬばならぬのだ。
「喜八郎まも今っから苦労をおせるで、忠実《みやま》しい人におなりるら! どうしたって人間は他人様の飯を食べて見にゃみやましいものにはなれんでなむ!」
 おときは時折志津にさう云った。
 喜八郎ももう今年は十七歳になってゐた。
 晩になってから、志津は隣りの松下へ行った。丁度晩飯時で、家内中の者が賑やかな茶碗の音を立ててゐた。「お掛けて……」嫁のみつ代が愛想好く云った。背中のみさ子が「まんま、まんま」さう云ひ乍ら手を出した。
 志津は遠慮勝に切りだした。
「あの、いつかお預けしといた蒲団をおもらひ申したいんで……喜八郎が襦袢がないちふってよこしましたが、なんにも布がないんで……あれでも倒して縫ったらとおもって……」
 弁解《いひわけ》のやうにつけ加へて云った。
「さうかな! あれをお持ちるかな!」姑のおまきは立ち上って来たが、隠居の方へ廻るように云った。外へ出るとみさ子が、急に泣きだした。志津は納屋の横を通って行く時、その納屋が元の邸のどこに在ったかといふことをチラと思ひ出した。
 利国が生きてゐて丈夫だった時分、窮迫してなんでも手当り次第に持ちだしては金に換へるので、志津は内密に夜具一枚と机一脚を隣家へ運んで来て、置いて貰ったのだった。
 おまきは隠居所の縁から上って障子をあけた。するとその障子のすぐ際にちゃんと机が置かれてあった。七分厚みの一枚板で、四尺はたっぷりあるがっしりした机だった。両側に三つづつ抽斗のついたひどく古風なものだったが父が養子に来る時、岡島家から持って来たと聞かされてゐたものだった。
 志津は机の上に雑誌だのインキ壺だの置かれて座蒲団の敷いてあるのを見て取った。
「誰か使ってゐるのだ!」瞬間にさう覚るといきなり頭の中が混乱して来て、志津は凝っと佇立した。おまきは押入から夜具を出して来た。
「ほんにこれなら丈夫だで、作場へ着れるもの……。昔は、大きいとこのお衆はみんなかういふ物を持ってお嫁入おせたんだなむ!」
 おまきはひろげて見乍らさう云った。手紡ぎの糸を手織りにした頑丈な地質で、背中の処におそろしく大きな三柏の定紋が染め抜かれてゐた。
 紺の匂ひがブンとした。
「今時こんな重い物を着る人はありませんなむ!」志津は持ち上げて見て云った。
「そいでもこれは綿がとても上等のやうだで倒すのは勿体ないやうだ!」おまきは云った。
 志津は「机は次手に頂いて行きます」と口先迄言葉が出かかり乍ら躊躇《ためら》った。気軽く云って仕舞へば何んでもなささうに思ひ乍ら圧されるやうで云ひ出せなかった。
 現に使ってゐる処を見込んで云ひ出す事が苦しかった。「机もお持ちるかな?」さう云ひ出さぬおまきの心の中のものがこちらに反射してくるのだ。
 はっきりした事を云はずに預けきりにして置いたので、抵当にほしいと云はれても仕方ない事だった。志津はさう思ふと堪らなくなって、今云はねば云ふ時がないやうな気がしだした。
「みさちゃんにお駄賃がなかったなむ!」おまきはさう云って次の間から煎餅を二三枚出して来てみさ子に持たせた。みさ子は引っ奪くる様にして口へ持って行った。志津はたうとう云ひ出せずに了った。(又今度の次に!)さう心の中で思ひ返した。
「どうもお世話様で……」志津はさう挨拶して、真っ暗な道へ出た。
「何んしろわしら方でもお宅の弁金をうんと背負込んでしまって……」
 さう幾度となく聞かされて来た言葉が今更重苦しく頭にこびりついてゐた。どうにも切迫詰って、おまさから内証で融通して貰った五円の金も今はとても払ふ見込はつかなかった。
 志津は底もなく滅入《めい》り込んで行く心持ちを感じ乍ら、重たい夜具を抱へて歩んだ。
          六
「今日はお暑かったなむ!」上の道から声を掛けられて畑にゐる志津は振り仰いだ。尾籠《びく》をつけたおときが立ってゐる。「もうどの位な?」
「やっと二眠起きたところ!」志津は答へた。
「おときさんとこは進んどるらなむ! 飼ひがおいいで……」
「昨日桑付けしたとこな。夜跨ぎになって手間が取れちまって……。なんしょ芽桑がちょっともないんで骨が折れてわしァふんと悲しくなったもの!」
 おときは溜息をつくやうにして云った。
「うちのもみんなとまってしまって……」
「ほんにこちらのもとまってしまった!陽気の加減だなむ!どうしたって芽は、四方咲でも作ってうんと肥やさにゃ駄目な!」おときはさう呟くやうに云ったがふと、
「ちょっとまあ、松下の畑を見て御覧な! なんたらいい芽が揃っとるら! 綺麗で目が醒めるやうぢゃな!」
 いかにも羨望に堪へぬ口調で云った。
 そこらは見下す位置になってゐる隣家の畑は今丁度夕陽があたって、一斉に伸び立った桑の若芽がみづみづと黄緑色の蓆《むしろ》をのべたやうに遠く見渡された。桑畑の茂りで隣家は大方隠れてゐる。
 おときは猶しばらく喋りつづけた。
「ほんに喜八郎まは如何だな! あのまんまいい向でおいでるらなむ!」
「ありがたうございます」
 志津は一寸頭を下げたが、大分いい様子だと云ふ事を話した。
「その節は色々心配しておくれて……」志津はもう一度頭を下げた。
 この春蚕前、喜八郎があちらで大病をして、志津は胸の潰れる程心配したがその時、おときが或る黒焼薬を持ってきて呉れたのだった。
「うちのお父っさまが大患ひした時飲んだ残りだけれど……」さう云って渡して呉れたのだがその薬と云ふのは、おときの妹が縁づいてゐる大沢部落の方で手に入れたので、この四倍許りで十五円も出したといふ話しだった。志津はおときの親切を涙を流して感謝した。そして誰よりもおときを頼りに思った。
「そりゃまあ喜八郎まもいい按配だ。なんちゅっても若い者はよくなりたちぁ一気だで……」
 おときは急に忙しさうに「まあお上りなさいましょ」さう挨拶して坂を下りて行った。
 おときのやうに働く女もなかった。毎年の様に子を産んだが三日目にはもう起きて働いた。年取ってゐて体の弱い亭主を実に大切にして、(おときの亭主孝行は有名だった)一日置位に薬草の風呂を立てる事を欠かさなかった。志津は子供を連れて折々風呂を招ばれに行った。
「おときさもああやってひとりで賄切り廻して行くんだで、なんちゅっても偉いお嬶っさまさ、ちィったあ噂も云はんならんらよ!」
 蔭での評判はさうだった。
 志津は屋敷畑を下りて石垣下の畑へ入った。そこは彼岸伐りにしてあるほんの狭い畑だった。向うの方はずっと地続きに隣家の畑だった。地境には細い区切がしてあった。以前には深い溝がついてゐたのがいつの間にか埋められて了った。隣家の方で一鍬づつ掘り進んで来るので、攻められて志津の方では一歩づつ身を引く立場に立たせられた。一鍬づつでも永い間には大きなひらきがついて来るものだ。
 おときもいつかその事を、
「ほんに身上拵へるやうな人はどっか違ったとこがある!」
 さう感心の態で云ったものだ。
 志津はなる丈蔭の方の軟かい葉を探し乍ら摘んだが日に焼けてゐて、それでなくさへ痩せ切ってゐるのでいくらも摘めなかった。
 地境には、隣家で植ゑた改良の大葉が牛蒡の葉ほどもある大きな葉を茂らせてゐる。
 志津はその膏切ったつやつやしい芽桑を見ると、わけもなくむっとした。まるで自分自身の食慾のやうにこんな滋養のある軟かい葉を思ふ存分寝起きの蚕に食べさせてやりたいと云ふ気持が切なく湧いた。
 志津は一葉プツリと摘んで見た。ギスギスするほど厚ぼったい葉だった。切り口から白い乳がヂッと滲みだした。志津は努めて平気でをらうとした。そして大急ぎで三葉四葉摘み取ったのを、尾籠の中へ押し込んだ。
 夕闇が静かに追って来て涼しい風がザワザワと桑畑をゆすぶった。
 山には漆の花が咲いて散った。
 森田部落は高い山の上の盆地で他部落へ行くにはどっちへ行くにも坂を降りるか登るかしなければならない。大体岡田村全体が谷間谷間に一部落づつ形成してゐる地勢で他部落との交渉が割に薄かった。大抵のことは部落内でまとめる事が多かった。
 森田家の没落と共に、森田部落の周囲を幾重にも取り捲いてゐた森林が丸坊主に伐り払はれた。
 それは如何にも瞬く間だった。杣が大勢入り込んで杉や檜や松の大木を片端から倒して行った。皮を剥かれた丸太の材木は毎日山を下り、運送に積まれて町の方へ運び去られた。
 跡には赭茶《あかちゃ》けた山の地肌が醜く曝け出され、岩石と切木株がゴツゴツと露はれてとげとげしい感じを与へた。落葉がいくらとなしに積って腐蝕した山の地面は歩むとへんにボコボコとした軟らかい足|触《さは》りがした。そして役にも立たぬ馬酔木《あしび》や躑躅《つつじ》がしょんぼり残された山一杯に木屑《こっぱ》が穢なく散乱した。その木屑を大抵の者が密っと自分の家へ運んだ。家の裏手へ積み上げた者もあった。
「源公の野郎、木っぱと嬶《かかあ》とばくみっこ[#「ばくみっこ」に丸傍点]すりゃがって!」(交換の意)
 源吉の女房が情夫を作って村を出て行く時分にはそんな悪口も云はれたものだ。
 防風林を失った部落はいきなりガランと投げ出された。高い処へ登らなければ見えなかった遠い飯田の町がどこからでも見えるやうになった。
 冬になると駒ヶ嶺颪がぢかに吹きつけた。痩せた部落は一層荒涼と雪に埋められ、家々は一層貧相で見窄らしくなった。
 部落の北の水沢地籍には古くから一つの泉が湧いてゐた。清洌な清水が滾々と絶えず湧いて水車が廻る程豊富な水量だった。
「中井の水は村一番だ。甘露の味がする。俺が死ぬ時は中井の水を死水に取っておくれ」森田の祖母のお安は口癖のやうにそれを云ってゐたものだった。
 志津達姉妹は祖母の命令で折々手桶に汲みに行った。その泉の水が近年めっきり味が落ちて普通の水になって了った。泉も底が浅くなり死んだやうに静かで、みみず[#「みみず」に丸傍点]が白い腹を見せたりするやうになった。
「水までかはった」さう云って何か不思議さうに思ふ者もあった。だがそれは不思議でもなんでも
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